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【知っ得】福岡国際マラソン 第70回記念シンポジウム開催!(11月22日/福岡市)

2016年11月04日

オリンピックや世界選手権の代表選考会として数々の名勝負が繰り広げられた「福岡国際マラソン選手権大会」が今年、70回の節目を迎えます。これを記念したシンポジウムを11月22日(火)、福岡市で開催します。

パネリストには、ジュマ・イカンガー選手との壮絶な一騎打ちを制しマラソンファンを魅了した瀬古利彦・DeNA総監督、当時の日本最高記録を福岡の地で樹立した藤田敦史・駒沢大学コーチ、森田修一・日清食品グループ監督、尾方剛・広島経済大監督といった歴代優勝者、そしてスポーツライター武田薫氏という豪華な顔ぶれがそろいました。

瀬古氏は先日、日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーに就任したばかり。最近は国際大会で元気のない男子マラソンですが、2020年東京オリンピックに向けて、どんな策が打てるのか。マラソン復活のカギを語り合います。基調講演には、宗猛・旭化成総監督が登壇します。
 
◆記念シンポジウムの概要、応募は専用サイトをご覧ください。
  http:// www.fukuoka-marathon.com/symposium.html
 ※申し込み締め切り:11月8日(火)

1983年の第37回大会では瀬古利彦選手(手前)がラスト100メートルでイカンガー選手(タンザニア)を抜き、4度目の優勝を飾った。写真/朝日新聞社
1983年の第37回大会では瀬古利彦選手(手前)が
ラスト100メートルでイカンガー選手(タンザニア)
を抜き、4度目の優勝を飾った。写真/朝日新聞社

1979年の第33回大会はゴール直前まで優勝争いが続き、瀬古利彦選手(左)が優勝した。宗茂選手(右)が2位で、宗猛選手(中)は3位と続いた。3人は翌年のモスクワ五輪代表に内定したものの、日本は五輪をボイコット。「幻の代表」として惜しまれた。写真/朝日新聞社

2000年の第54回大会で優勝した藤田敦史選手は、2時間6分51秒の日本最高(当時)を樹立した。写真/朝日新聞社


福岡国際マラソン選手権大会は、国内男子3大レースで、五輪や世界選手権などの日本代表選手選考会としても知られています。また、国際陸上競技連盟が世界の主要ロードレースを格付けするラベリング制度では最高位のゴールドラベルに認定されており、高い評価を得ています。

国内有数の高速レースとして知られ、長い歴史の中で数々の名選手を輩出しました。
今年の70回大会には、元世界記録保持者(自己ベスト2時間3分38秒)で大会3連覇を狙うパトリック・マカウ選手(ケニア)、闘志と粘り強さで多くのファンを持つ最強の市民ランナー川内優輝選手(埼玉県庁)らがエントリーしています。
大会は12月4日(日)12時10分、福岡市の平和台陸上競技場をスタートします。

◆第70回福岡国際マラソン選手権大会 HPはこちらから↓
http://www.fukuoka-marathon.com/


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