この度、ランナーズは、
来る2025年12月1日に創刊50周年を迎えました。
こうして皆様に50周年という大きな節目を迎えることができますのも、
ひとえに読者の皆様の温かいご支援の賜物と、
編集部一同、心より感謝申し上げます。
これまでのランナーズにご登場いただいた皆様、
制作に携わってくださった皆様から
たくさんのメッセージが寄せられましたので掲載させていただきます。
この度、ランナーズは、
来る2025年12月1日に創刊50周年を迎えました。
こうして皆様に50周年という大きな節目を迎えることができますのも、
ひとえに読者の皆様の温かいご支援の賜物と、
編集部一同、心より感謝申し上げます。
これまでのランナーズにご登場いただいた皆様、
制作に携わってくださった皆様から
たくさんのメッセージが寄せられましたので掲載させていただきます。
2018年のランナーズで50歳の手前で25歳の頃の自分に勝った爽快感について書かせていただきました。
マラソンの記録で過去の自分に勝つ。それがマラソンの醍醐味の一つです。
タイムで過去の自分に敵わなくなったら、全日本マラソンランニングの順位で勝負するという方法もあります。
23年のランナーズの企画で対談した弓削田眞理子さんはランニング愛がものすごい方です。大変、感化されました。
今も1日10㎞、月間300㎞、年間3600㎞を基準にして楽しく走っています。
ランニングを最優先して、週間天気と仕事の予定を見て、「この日はこの時間帯に走ろう」と決めます。
2年前からオーディブルで小説を聞きながら走るようになりました。
ストーリーの次の展開が知りたくて走っているような感じです。もはやランニングが生活というより人生の一部になっています。
“禅”の代りのようなもので、心を整えてくれます。だれにも邪魔されず、自分の世界に入れます。
研究にはものすごく知的体力が必要です。マラソンも同じで、肉体的な体力とともに精神的なタフさを求められます。そういう意味でマラソンは研究にプラスになっています。
マラソンでの成功体験が、研究も粘り強く頑張ろうという気持ちにさせてくれます。だから研究者にランナーが多いのかもしれません。
フルマラソンは年に4、5本、走っています。目標はグロスの3時間20分切りです。いまだにレース前は緊張してドキドキします。
63歳にもなって、柔道、ラグビーをしていた学生の頃の気持ちになれるのは幸せなことです。ランニングに感謝しています。
いつもランナーズから貴重な情報を得ています。記事がランナーとのコミュニケーションツールになります。
私より年齢が上の方がサブスリーを達成したとか、かなり高齢の方が頑張っている記事を切り抜いて、心の支えにしています。
創刊から50年、ランナーとランニング文化を支えてきた「ランナーズ」に心から敬意を表します。
米国ボウルダー時代からお手伝いさせてもらい、原稿の締め切りにいつも遅れそうになり、ご迷惑をおかけしておりました。帰国後も、それぞれの立場で取材を受け、記事にしていただき、感謝しております。
とくに「東京マラソン」においては、市民ランニングの草分けである橋本社長、下条編集長にご指導ご鞭撻をいただいてきました。
この場を借りて、お礼を申し上げます。その都度、都度に東京マラソンの進化過程での取材を受けており、いつの記事でという特定はできません。ただ、私としては、ランナーズ(あえてそう呼ばせてもらいますが)さんが、どういう感じで東京マラソンをとらえられているのか、常に意識してまいりました。これからもそうです。
質問の意図に沿った回答になるのか自信はありませんが、2007年より東京マラソンという仕事上でランニングとは関わっております。
個人的に、日常的にランニングしているかというと、引っ越した先で環境に恵まれ、走ったり、ウォーキングしたりと少し前より取り組みの頻度は増えてます。
学生時代(中学、高校、大学)は競技スポーツとして短・中距離の種目で関わり、就職後も指導という立場や、ビジネスとずっと関わりを現在までもち続けております。
とくに、東京マラソンに関わって20年間あまり、ランニングが生活そのものです。
『月刊ランナーズ』50周年おめでとうございます。
市民ランナーの先駆者としてのリーダーシップは、雑誌のみならずイベントを通してランニングを引っ張ってこられたことは周知のとおりです。
我々、東京マラソンも、エリートと市民が融合したイベントとして、ランナーズ50年の歴史の一端に加えさせてもらっています。
これからも、もっと一般生活者の中にコミットするランニングライフスタイルを一緒に提唱し続ける仲間として、お仲間に入れていただければ本望でございます。
当時は、陸上競技者としての知識と常識だけで突っ走っていましたが、新たなランニングの世界に触れ、社会とランニング(走ること)の関わりについて深く考えさせられたことを、今でも鮮明に覚えています。
感覚と直感だけで取り組んでいた競技から、「誰にでも共通するランニングの基本」とは何かを考えるようになり、その探求心がスポーツ科学への学びへと繋がり、大学進学を決意しました。
現在は、実業団チームの監督として選手を指導する一方で、パラアスリートや市民ランナーのサポートも行い、指導者と研究者の両面からランニングに携わっています。
先日、「一般市民ランナーにおけるトレーニング走速度とマラソン走速度の関係」に関する論文が受理されました。
また、個人としても体重増加をきっかけに、健康維持を目的としてランニングを継続しています。
私にとってランニングは、人生を導いてくれる友のような存在です。
時に悩み、立ち止まることがあっても、走ることで自分を取り戻し、前に進む力をもらっています。
まさに「人生の動作」と言えるかもしれません。
『月刊ランナーズ』50周年、誠におめでとうございます。
私自身も今年で50歳となり、まさに「同級生」になります。
中学生の頃にランニング(マラソン)に興味を持ち始めてから、ランナーズを愛読してきました。
ランナーズは、私の人生に大きな影響を与えてくれた一冊です。
現在、我が国では少子高齢化が大きな課題とされていますが、子どもから高齢者までがランニングを通じて元気に過ごせる社会になることを願っています。
その実現に向けて、これからもランナーズがランニングの魅力を発信し続けてくださることを期待しています。
私自身も、指導者として、そして研究者として、ランニングの魅力を伝え続けられるよう二刀流に磨きをかけていきます。
記事を読むと、箱根駅伝予選会に向けての緊張感が伝わってきます。
当時は毎日毎日、一年中気の抜けない日々であったのだと改めて感じます。
2024年に神奈川大学の駅伝監督を退任致しました。
現在は日本学生陸上競技連合理事兼強化委員中長距離部長、関東学生陸上競技連盟理事兼 副会長として学生競技会の運営に携わっています。
今に至っては、心身を整える行為です。サウナでのリフレッシュや筋力トレーニング後の爽快感と同等なものです。
50周年、誠におめでとうございます。
編集部の方々の日々の取材が思い起こされます。
思い起こせば、あのコロナ下のランニング事情。なにもかも異常でした。
走るときには、感染予防のために、マスクをせよ。集団走は御法度で、ランナー相互の距離を2m以上離せ。よけいな会話はせず、黙って走れ。挙げ句の果て、ハアハア言いながら必死に走るランナーは、白目で見られるような雰囲気さえありました。当然のように(?)マラソン大会は、ことごとく中止となりました。
私がいちばん楽しみにしていた「サロマ湖100kmウルトラマラソン」までもが中止になったときには、驚きと寂しさ、そして悔しさを隠せなかったことを今でも覚えています。
10回の完走達成で得られるサロマンブルーの称号を、何とか一年でも早く、獲得しようとしていた矢先の出来事でした。
あのころは、楽しいはずのランニングが、むしろ辛く感じられ、気分が高揚するランニングが、逆に落ち込む原因にさえなっていたのを思い出します。
そんな中、「週末ひとりTATTAマラソン」に「参加」したのは、今となっては良い思い出です。
大会がない代わりのイベントで、何とかサブ3.5を目指して、スタートしました。
しかし、「ひとりぼっち」の大会が楽しいはずもありません。応援する観衆はゼロ。給水コーナーもありません。ゴールテープ・ゲートも無く、惨めな「大会」だったのを覚えています。
それもこれも今となっては懐かしい思い出です。あの憎たらしいコロナ野郎もかなりの下火となり(完全消失はしていませんが)、自由に、楽しくランニングをしています。
あの時代が二度と来ないことを念じて止みません。
以前と変わらず、朝晩の通勤ラン(片道7.5km、往復15km)をしています。
大会は、フルマラソンを年に3〜4回、ハーフを2〜3回、ウルトラを1回と同じペースで走っています。
ただ、今年は、5月末に右脚のハムストリングスを痛めてしまいました。東京出張の際、朝の皇居ランでダッシュをした時、右大腿後面に痛みが走ったのです。
1か月後に「サロマ湖100kmウルトラマラソン」を控えていたので、出走断念も頭を過りましたが、サロマンブルーを目指した8回目の完走が掛かっていました。
6月末、無理して出走しましたが、9km地点で同じ部位に激痛が走りました。這ってでもゴールしてやるという思いで、再度、走り(歩き)始めましたが、キロ20分のペースで歩くのがやっと。
10km関門は、何とか通過したものの、12km地点で審判車に止められ、人生初めての途中棄権……涙が止まりませんでした。
帰宅翌日、自分の病院で撮像したMRI(添付写真をご覧下さい)[添付への言及]では、ハム外リングスの部分断裂(肉離れ;グレード2)の自己診断。
約2カ月間の安静後、ランニングを再開しましたが、9月に再発してしまいました。
現在、スポーツジムのトレッドミル上で、キロ8分30秒で40分走るのがやっとです(涙)。悶々とする日々ですが、来年のサロマで必ずリベンジすることを夢見て、せっせとスポーツジムでトレッドミル走、筋トレを行う毎日です。
私にとって、ランニングは「生活の一部」です。と同時に、「人生の楽しみ」でもあります。ランニングの無い生活・人生は、もう考えられません。
「クリープの無いコーヒーなんて……」という昔々のCMそのものです(50代より若い方は知りませんね 笑)。
死ぬまで走るつもりですし、走れなくなったとき、自分は死ぬと思っています。
ランナーズ50周年、本当におめでとうございます。毎月送られてくる雑誌を拝見し、市民ランナーの皆さんの頑張る姿が、自分も頑張らなければ、というモチベーションに繋がっています。
老若男女すべてが、特別な道具や場所を必要とせず、たったひとりで、いつでも、どこでもできるスポーツ、それがランニングだと思います。
速く走るのも大事でしょう。格好良く走るのも素敵でしょう。しかし、爽やかな汗をかき、走った後には、何物にも代えがたい高揚感を味わうことのできるランニング。今後も、読者の皆さんと伝え合っていきたいと思います。
そして、編集部の皆さん!
速く走る技術を伝えるのも大事ですが、ランニングの魅力をこれからも益々、私達に伝えていって下さい。黒崎社長の辣腕に期待します!
2009年から「運動生理学で走りの不思議を解き明かす」というタイトルで3年間にわたりランナーズに連載、その内容を「マラソンに常識はない」として1冊にまとめて出版しました。
連載にあたって内容はとくに指定されず、つまり何を書いても良いということでした。そこで自分なりに三つの規範を課すことにしました。ひとつは、その時々のランニングに関するホットなテーマを見つけ、ふたつ目はそれを信頼のおける最新の研究成果で説明し、三つ目はそのエビデンスが現場でどのように役立つかを紹介する、ということにしました。
毎月の締め切りに追われ結構きつい作業になりましたが、ちょうどそのころ、ひょんなことからマスターズ800mに参加することになりました。現役時代800mランナーの私が、40年ぶりにスパイクを履き400mトラックを走ることになりました。
この経験は、連載執筆に役立ち、同時に連載執筆は私自身のマスターズ挑戦にも何かしら反映できたと思います。この理論と実践の交流は、これまでにない得がたい体験となり、その後の研究活動にも大いに刺激となりました。
今読み返してもなかなかいいところを突いているな、というのが我田引水ながら私の感想です。とりわけ、多くを学んだのがランニングペースの理論と実践でした。なかでも、「人類は速く走らないように進化した」というテーマを取り上げましたが、エリートランナーから市民ランナーまでのランニングペースに通底する学説であることを確信しました。
そのランニングペースですが、70を過ぎてからの私のランニングペースは変幻自在で、ペースを気にしなくなりました。時計は確認のためにつけて走りますが、あまり気にしません。最近では、時計なしでも気にならず走ることも少なくありません。
少々大仰ですが、『七十にして心の欲するランニングペースに従って、矩(のり)を踰(こ)えず』といった心境でしょうか。
学生時代はと言えば、中距離走(800m、1500m)と箱根駅伝の二刀流で、それらのペーシングストラテジーには自分なりに工夫を凝らし、競技成績にも効果が見られたと自負しています。
61歳になってからマスターズに参戦したこともあり、中高年齢期においても、やはり速いランニングペースの獲得が自分なりのメインテーマになっていました。
ところが、70歳を過ぎると、その少しでも速くというペース感覚が薄れ、上記の通り自在なランニングスピードを楽しむようになりました。ランニング時間も「1時間は確保しなければ」といった感覚から、現在はときに1時間であったり20分であったり、このあたりも変幻自在です。
加齢の影響と言われればそれまでですが、自分としては、学生時代からこうした自在なペース感覚への理解があったら、と振り返るのです。
ランニングとは、行雲流水のごとく。
2024年パリオリンピックでは、とくにボクシング競技の女性競技者についての性別判定をめぐり、激しい議論が交わされました。2025年4月、イギリスの最高裁は平等法における「女性」の法的定義を生物学的性別に基づくべき、と明確な判断を示しました。そして世界陸連(WA)は、女性競技者の参加資格をこれまでのテストステロン(男性ホルモン)値での判定から、急転直下、DNA検査によって性別を判断するという新たな規定に変更しました。そして、その新規定を2025年東京世界陸上において初めて施行することとなりました。
世界陸上では特段の大きなトラブルはなかったようですが、事実上、この新規定はDSD(性分化疾患)競技者あるいはトランスジェンダー競技者をエリート競技から完全に排除することになります。
ただし、WAは性の多様性を無視したり軽視したりするものではなく、エリートレベルの女性競技の公平性を確保するため(やむなく)生物学性別判定を導入した旨を強調します。したがってこの新規定の対象者は、エリート競技者、対象競技会はオリンピックや世界選手権のようなエリート競技会に限定しています。そして重要なことは、性の多様性、包摂性(インクルージョン)、あるいは女性のスポーツ参加の促進を担うのは、NF(国内競技団体)であるという姿勢を(勝手に)鮮明にしたのでした。
WAのエリート陸上とNFのウェルネス陸上を相携えて振興するというデュアルモデルが、今始まったところです。実は、東京マラソンでは2024年からノンバイナリー部門(男女以外の性自認)の参加枠を新設し、また2025年の東京レガシーハーフマラソンでは定員15,000人に対し女性先行抽選枠5,000人を確保しました。もちろん、東京マラソン、東京レガシーハーフマラソンには世界のエリートランナーがこぞって参加します。このように、幅広い人々を取り込んだデュアルモデルはわが国においてもすでに大きなうねりとなって始まっています。
WAが下した歴史的裁断は今のところ大きな話題にはなっていないようですが、今後国内外のスポーツ普及振興のうえで大きな意味を持ってくることは間違いありません。むろん、課題満載です。それでも、ランニング文化の振興に尽力してきた『月刊ランナーズ』としては、ぜひ折に触れてこのテーマを取りあげてほしいと願います。
ランニングを始め間もない2014年に、当時ラフィネランニングスタイルのヘッドコーチだった木村ヤストさんと対談させていただきました。あのころは、走れば走るほど結果につながることがうれしくて、仕事が多忙でも夜な夜な走りに出かけていました。帰宅後に小学校低学年の息子と娘を寝かしつけ、深夜0時を過ぎてから走りに出かけることもしばしば。それくらい走ることに夢中だったんですね。対談時に掲げていた目標はサブ4でしたが、数カ月後の東京マラソンで初めてその壁を越えることができ、ゴール地点で感極まったことを思い出します。
時が経って2017年には「走ってもやせないランナー」として取り上げていただきました。毎月200km以上走っているのに体重が落ちない――その傾向はいまだ健在です(笑)。この時の特集テーマは「日常生活での活動量を増やすこと」。通勤や移動時に小走りを入れる。階段は少しだけ勢いよく降りる。ただそれだけで消費カロリーが確実に上がることを科学的に立証いただいたので、その意識は私の中に根付いて、今でも生活に取り入れています。でも、やっぱり体重は落ちません……(笑)。
平日に10km程度を数回、週末に20km程度というペースでランニングを続けています。また月に1回、会社のランニング仲間で集まって一緒に走り、終了後に飲み会を楽しんでいます。
2024年の東京マラソンを自己ベスト(3時間14分)でゴールできてからは、気持ちがウルトラマラソンに向き、以来「速さ」よりも「強さ」に惹かれ続けています。
仕事では、大学3大駅伝のひとつ「全日本大学駅伝」の運営に携わっています。大学日本一を決める、熱田神宮から伊勢神宮までの8区間106.8㎞。ランナーの苦しみや喜びが多少なりともわかるので、襷をつなぐ選手たちの激走を見ているとついつい力が入ります。
ある日のランニング中にふと、挑戦を続けることは自分の人生を充実させるエネルギー源になるんだなと直感し、「挑戦は人生のエネルギー」というフレーズが頭に浮かびました。以来私はこの言葉を座右の銘にしています。「ランニング」は挑戦する気持ちを絶えず芽生えさせてくれます。だから、私にとっては人生を豊かにするための必需品です。
私は、ギリシャの「スパルタスロン」というウルトラマラソンに3度失敗しています。トレーニングを積み、闘争心をメラメラ燃やして臨んでもゴールに辿り着くことができず、今では参加資格すら失ってしまいました。でも「いつか……」という気持ちがまだ心の中にあって、それが今エネルギー源になっています。まさに「挑戦は人生のエネルギー」なんです。
『月刊ランナーズ』2019年12月号に載せていただいたスパルタスロンの“未完走記”は、実はとても反響がありました。その様子から、人はみな、簡単には手が届かないほどの挑戦を渇望しているのかもしれないなぁと思いました。
創刊50周年、おめでとうございます。半世紀にわたり、数多くのランナーやランニング大会をきめ細かく取材され、ランナーの「知りたい」「成長したい」に応える貴重な情報を届けてくださっていることに、心より御礼申し上げます。毎月の企画立案、取材、執筆、校正と、時間に追われる大変なお仕事だと想像します。でも、その一つひとつの記事に込められた“伝えたい思い”が、ランナーの心に確実に届いています。
次の50年、ランニングの世界は生物学的にもテクノロジー的にもさらに進化していくことでしょう。それを受けて、『ランナーズ』でどんな特集が組まれ、どのような情報をランナーに提供してくださるのか、とても楽しみです。
1975年は、12月の福岡国際で私が日本人トップで入ってランキング1位になった年です。
翌年のモントリオール五輪に向けて正月返上の指宿合宿、実業団駅伝、中国駅伝を走り、陸連が初めて実施したニュージーランド合宿でもライバルたちに「もう宗猛には勝てないぞ」と印象付けるためにガンガン練習していました。
ところが、五輪代表一発選考(当時)の毎日まあラソンが桜も散るくらい暑くて頭がボーっとして散々な結果(38位)に終わりました。
「オリンピックに行けるぞ!」という絶頂と夢破れた絶望を味わった。ランナーズは僕らが競技に打ち込んでいる真っただ中に創刊されたんだなと思うと感慨深いです。
引退して37歳の時にびわ湖毎日で日本人トップの2位(2時間13分58秒)に入った時も記事に取りあげてくれましたが、少し複雑なキモチでした。指導者として旭化成の選手を3、4人連れて出場したら、みんな落ちていって気がついたらトップ争いしてたという…。
その後も選手をサポートしながら様々なレースに出て、45歳の時に出場した延岡西日本マラソン(2時間20分7秒)が最後のフルマラソンとなりました。
長く続けられたのは距離を踏んでたから。そして、やっぱり走るのが好きなんですね。
旭化成陸上部の顧問としてチームを応援しています。
市民ランナーの方々は、大半が健康のために走り出して、トレーニングすれば体重も落ちるし、少しずつ速くなる。
いろんな大会へ行って、いろんな人と知り合ってどんどん楽しさの輪が広がっていくんだと思うんです。
ランナーズはマラソンブーム、ジョギングブームが急成長していく時代を正しい方向に引っ張ってくれたんじゃないかなと思います。これからもランナーの味方でいて欲しい。走り続けることに役立つ情報をもっともっと発信して欲しいです。
掲載された記事は「ジュニア向けトレーニング20年間の連載を振り返って」という内容です(2008年8月号)。これは『陸上競技マガジン』にて1981年から2001年まで、中長距離を目指す中高校生ランナー、指導者向けトレーニングアドバイスのページを連載させていただいて、ひと息ついて振り返る内容になっています。
『月刊ランナーズ』誌でも、ほぼ同じ時代、市民ランナー向けに「今月のトレーニング計画」(79年5月~)、「トレーニングアドバイス・中級者」(80年6月~)、「トレーニングアドバイス・ランナー」(81年9月~)、「勝ちとろう!初マラソンまでの招待切符」(90年11月~)といったタイトルで、延べ4年間連載させていただきました。
こうして日々のトレーニングや指導現場に長く関わっていると、直接間接に思わぬ出会いやエピソードがあるものです。最近では神宮外苑ハーフマラソンコース(103回関東学生)[?要確認]で、ある女性ランナーが25年前のはがきを持って待ち構えておられました。なんと、その方が中学生のときに「太っちゃうんです」という質問を私が取り上げ、「走ることを大好きになりましょう」といったアドバイスした方でした。もちろん、初対面ですが、高校社会人と陸上を続け、今では息子さんも高校生ランナーとして活躍しているとのことでした。
たいへんな高齢者となりましたが、週2~3回4~5km程度、ジョギング、ウォーキングを夫婦で楽しんでおります。妻のスピードには20年ほど前からかなわなくなりましたが、年に4~5回、10km前後のレースに出場し、何とか完走しております。
中学時代にランニングに出会い、高校大学と競技者として関わり、とくに大学では専攻分野が体育学部スポーツ方法学(陸上競技)だったため教育・研究対象として「ランニング」に密接に関わり、大学修了後も大学指導者として、今日に至るまで生涯に渡って「ランニング」に関わることができること、とてもありがたいことだと受けとめています。
『月刊ランナーズ』の創刊は、私が大学の指導者として歩み始めた時期であり、初期のころから何度も誌面に寄稿、連載などさせていただき、またホノルルマラソンやボストン、ニューヨークシティマラソン等、ランナーズツアーのコーチとして何度も帯同させていただくなど、指導者としての私を育てていただいたと思っています。
研究面においても、「サロマ湖100kmウルトラマラソン」の調査、市民ランナーの走り込み合宿やマラソン研究の支援協力など、多大なお力をいただきました。また、本誌の編集委員やランナーズ賞選考委員なども務めさせていただくなど、今日に至るまで、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
最後になりましたが、50周年まことにおめでとうございます。ますますの発展・躍進を祈っております。
毎月関西のネタを通信するにあたって、できるだけ関西らしい大会、関西人らしい(?)ランナーを探す日々でした。
ただ、並行してKBS京都ラジオで「Let‘s RUN!」というランニング番組も担当していましたので、<一粒で2度おいしい>ではないですが、同じ大会をラジオ向けに、『月刊ランナーズ』向けに……と、表現方法を変えながらお伝えしていましたので、やりがいも2倍でした。
とくに「ランナーズ」の場合は写真を掲載できるので、そこは音だけのラジオと違うところで、音だけでは伝わりにくい「仮装ランナー」などは「ランナーズ」向け。反面マイクを持って走って録音した沿道の応援の声、沿道のざわざわ、息絶え絶え?のランナーの声、ゴールしたての興奮したランナーの声はラジオ向けに……と使い分け、2度おいしいけど、手間は2倍でした。それでもマイクやカメラを持って走るとたくさんのランナーから声かけていただき、何も持たずに走ったときよりタイムがよかった!ということは多々ありました。
ランナーズの連載やラジオが終わった今も、「あっ!この大会面白いやん」「このランナー関東には絶対おらんで」と感じた瞬間は「あ~~紹介したい!どこかで発信したいな~~」と思うのは、根っからのレポーター魂でしょうか!?
2024年3月に22年半続いたKBS京都ラジオ「Let‘s RUN」が終わった今も、自身のランニングチーム「わかちゃんFRC」の活動として週1回、西京極のサブトラックでのインターバル練習会や月1回の大阪城公園のでペース走練習会を継続しつつ、年1回の駅伝大会「セプテンバーえきでん」も21回目を9月23日に無事終え、他にもマラニックや合宿など主催イベントでランニング三昧、忙しい日々です。
個人的には、マラソン大会のMCやゲストとして呼んでいただく大会への参加をしつつ、今まで取材の日程と重なり参加できなかった大会にエントリーしたり、時間ができたので、旅ランも楽しんでいます。
そのためにも「毎日5km走る!」というのを自分ルールにして、日々、闘っています(笑)。
それは、私のそれまでの人生を180度変えてくれたものです!
2001年にランニング番組を始める1年前ぐらいから走り始めましたが、それまでは1km先に行くのもタクシーに乗っていました。(笑)
汗を流すことの気持ちよさ、目標をもって頑張ることのすばらしさ、孤独なスポーツだと思っていたランニングが、実は、団体競技であること、「ランニングは文化だ!」ということを走ることで知りました。
そして何より、たくさんの方との出会いがあり、それは私の人生の宝物です!!
そしてもうひとつ、「地図が読めない女」だった私が、マラニックのコースを作ったりどこへ行くのも走って行くことが増えたおかげで地図が読めるようになりました。
これは、私の人生の中での大きな収穫です(笑)。
「ランニング」は今や、私にとって、空気や水のように「なくてはならないもの」であり、人生を明らかに豊かにしてくれるものです。
日に焼けて真っ黒になろうと……たとえ移動に時間がかかっても、いつまでも走り続けていくと思います!!
インターネットやSNSが情報源として当たり前の時代になった今、もはや、紙媒体はどこへ~と思われつつありますが、改めて今回、昔の記事を送っていただき、読み返したとき、
「懐かしいな~~」という思いと、「あ~~こんなこともあったんだ!」とタイムスリップできました。次から次へとどんどん流れ去っていく情報の中、雑誌の中に残っている情報はとっても貴重で、その瞬間瞬間のトキメキ、命はいつまでもその記事にとどまり、生きている!そう感じます。
「ランナーズに載ってん!」というのは、今もランナーの自慢であり、「ランナーズに載ること」がランナーにとってのステイタスであることは昔も今も変わりません。
編集部のみなさん!! これからも「キラキラした記事」を発信し続けてください!
ランナーズ50周年、おめでとうございます!!
佐々木功監督に指導を受けて12年、「名古屋国際女子マラソン」の優勝でそれまでの成果を出すことができました。とはいえ佐々木監督にとって、それは集大成ではなく、ひとつの通過点で、次は34歳で体力が落ちていく私を、どうやって走らせるかを模索していました。
その直後、佐々木監督は闘病生活になってしまいましたが、自身の体力がなくなっていくなかで、効率よく走る方法を考えていました。その答えが見つかる時間はなかったですが、どんな状況でもプラスに捉え、最期までランニングのことを考えていた人でした。
現在は無所属。年に5回前後、ゲストランナーとして大会に参加させていただいているので、遅くてもきちっと走れるための練習をしています。
クリニック等も年5回前後あり、基本はLSDをテーマにやらせていただいています。
走ることは生活の一部です。若いときとは違うので、あえて休む日もあり、毎日走ってるわけではないですが、ランニングと関わらない生活は想像できないです。自分自身が走り続けるだけでなく、LSD理論を伝えていくことが、私にとっては大切な役目だと思っています。
『月刊ランナーズ』50周年おめでとうございます。
佐々木功監督とともに誌面にたびたび登場させていただき、本当にありがたかったです。とくに「ゆっくり走れば速くなる」は、LSDが広まるきっかけになりました。また私自身での改訂版を出させていただいたことは、大きな財産です。今後も多くのランナーに愛される雑誌を作り続けてくれることを願っています。
掲載当時は30歳そこそこでしょうか。競技選手を引退して実業団女子ランナーのコーチングをスタートしたばかりの生意気な若造でした。
小出義雄氏という日本を代表する指導者のもとで素晴らしい経験をさせていただき、今でも感謝でいっぱいです。タイミングとしては、選手としての自分探し(自分の人生を切り拓くアイデンティの追求)からコーチング(誰かが人生を切り拓くサポートをする)に転換するとても大切な時期だったと思います。
現在は還暦サブスリーを目標に毎日トレーニングに励んでいます。走る距離は10〜20km、月間にすると300km程度でしょうか。ただし、若いころのようなスピードはもはや出せません。加齢に抗いながらも、筋力が低下し衰えた身体を少しでも速く走らせようと日々苦しみ楽しんでいます。
物心がついた少年時代、「遊び」として「特技」のひとつとして走り始めた人生。その後は縁あって競技選手、コーチ、市民ランナーとしてずっと走り続けてきました。最近、返す返すも思うのは、私は走るために生まれてきたのではないかと。60歳を過ぎた今でも、走るたびに新鮮で飽きることのない「ランニング」は私の人生そのものと言っても過言ではないでしょう。
戦後が終わり復興の象徴として開催された東京オリンピック。その後、市民スポーツと健康指向のライフスタイルが日本に芽生えました。その真っ盛りの時期に創刊し半世紀にわたり日本のランニングシーンを牽引してこられた『月刊ランナーズ』の実績と存在感は素晴らしいものでした。
心から50周年のお祝いを申し上げます。
現在、世界秩序の混乱、国内では少子高齢化など課題山積ではありますが、ランニングは世界の人々をつなぐ平和の象徴であり、走る人ひとりひとりの心と身体の健康維持に寄与する大切なライフスタイルです。次の50年(100年周年)に向けて、さらに発展することを祈っています。
越智コーチのご指導のもと、「サロマ湖100㎞ウルトラマラソン」10回完走。サロマンブルーとなりました。
2000年から2024年まで、ライフワークとして、多数の走友と「サロマ湖100㎞」に参加しておりましたが、旧友との交流が途絶えたこともあり、本年は不参加でした。
47歳から走り初めて、36年間、現在も会社員として社会貢献できるのは、「ランニング」の効能と思っています。
ランナーズ社(現 株式会社アールビーズ)には、1900年ごろより、公私ともに多大にお世話になっております。現在でも現役で活動できる礎、と感謝しております。
2015年1月号の記事を読むと、当時から10年後の今のほうが、考え方がより柔軟になったと思います。今でもレース前に続けているルーティーンもありますが、いくつかのルーティーンはこだわらなくなっています。
たとえば、「レース開始4時間前の起床」や「睡眠時間の確保」などは変わりませんが、朝食の内容などは変化しています。10年の間にさらにさまざまな経験を積むなかで、取捨選択が進んだのだと思います。改めて過去の『月刊ランナーズ』の自分の記事を読み返してみると面白いですね。
「大会参加が趣味」のアマチュアの市民ランナーから、「大会参加が仕事」のプロランナーになりました。厚底カーボンシューズの波に乗り遅れて記録が低迷したり、故障も多くなってきて、必ずしも競技面は順調とは言えないかもしれません。
しかし、普及や交流といった面では、メインスポンサーのあいおいニッセイ同和損害保険との「マラソンキャラバン」は7年目を迎えて順調に実績を積み重ねています。
選手と企業が協力しながら、北は北海道稚内市、東は北海道根室市、南は沖縄県石垣市、西は沖縄県与那国町と日本全国を網羅する地域貢献の取り組みは、プロランナーの新しい道を切り拓いていると思いますし、この活動による日本全国での交流は非常に充実しています。
また、コロナ禍が終わり、ふたたび世界中のさまざまなレースから招待選手の依頼が来るようになっています。現在の故障を完治させて、普及面だけでなく競技面でも、もう一度充実した日々を送りたいと思っています。
私に「世界」を教えてくれたものであり、人生そのものと言えます。
もしもランニングと出会わなければ、視野の狭い非常につまらない人生を送っていたと思います。
50周年おめでとうございます。小学生のころから市民マラソンの小学生の部に出場していた私と『月刊ランナーズ』とのつき合いは25年以上になります。
当時はネットが今ほど発展していなかったので、さまざまなマラソン大会の情報がまとまっているランナーズは貴重な雑誌でした。また、毎年の1月号付録「ランナーズダイアリー」は小学6年生だった1999年から使っており、現在手元には27冊あります。
マラソンの日本代表経験者で27冊のランナーズダイアリーを持っている選手は他にいないような気がします。「月刊陸上競技」や「陸上競技マガジン」ならいるかもしれませんが……。このことは、私の原点がトラックレースではなく、ロードレースであったことを象徴していると思います。今後も自分自身の競技でのさらなる活躍を目指すとともに、ランナーズとともに日本全国のロードレースを盛り上げていければと思います。今後ともよろしくお願いします。
A「私の真っすぐも曲がっていました」
まさかのビックリでした。ふだんは腰痛坐骨神経痛のランナーを施術しますが、正直自分が腰椎椎間板ヘルニアになるとは思ってもいませんでした。気がついてみると、痛みのために私の体幹バランスは曲がっていました。その後は自分に言い聞かせ、体幹トレーニングに取り組むようになりました。
B「巷で話題のスイカお尻って」
当時(今も)非常に頑張っている男性ランナー。大きな故障ではないのですが、脚の痛みや違和感でご相談を受けていました。鍼灸コンディショニングとお尻トレーニングにまじめに取り組んでくださった結果、見事にお尻のデザインがスイカのような形に成長。いつでも出荷疾走OKまでになりました。現在はケガもなく、粘りの走りをしています。お尻の筋肉アップは、脚力強化と接地の安定性と最後に競り勝つために必須の筋力トレーニングですね。
C「弓削田眞理子に叱られたい」
しっかり叱られました。大喝‼の記憶があります。弓削田コーチのご指摘はおっしゃる通りで、まさに60歳からのラストチャンス、やるしかない‼と心に刺さりました。
月刊走行距離200kmを目標に走っています。週末日程が合えば代々木公園での練習会、大会は年間にハーフを3~5回、フルは1~2回走っています。「北海道マラソン」は毎年エントリーし、完走後はジンギスカンとビールで満腹チャージして楽しんでいます。
人生そのものです。上り坂もあり下り坂もあります。そんなときにランニングからは、いつも冷静な評価と判断を教えてもらっています。思い通りに行かないのが人生。粘り強くあきらめずに取り組むと新しい景色のゴールが見えてきます。「ランニングは人生そのもの」と言われる根源だと思います。
「ランニングを日本の社会的文化に」をメッセージに50年を歩んできたのではないでしょうか。マラソン競技選手から多くの市民ランナーへと裾野を拡げてきた『月刊ランナーズ』の半世紀。ご時世の急変化に対応できる指南を掲載してくれるランニング専門誌は唯一ランナーズだと期待し、頼りにしています。
人生は強弱だけでは語り尽くせません。その人生の多様性にメッセージを届けられる編集部の皆さま、100周年に向けて頑張ってくだささい。私は購読を永年継続する決意です。
3本の記事をいただきましたが、2019年1月号の『ランナーズ賞の横顔』から当時を振り返ります。
まず2012年9月号の記事の通り、がんからフルマラソンに復帰し、翌2013年には悲願の「サロマ湖100㎞ウルトラマラソン」復帰を果たしました。
その後は、マラソンでの自己ベスト更新に挑戦。「自分のマラソンは、がん発症前がピークだった」と認めたくなかったからです。逆の言い方をすると「がんをしたんだから(PBを出せないのは)仕方がないことだ」と自分に言い訳をして生きたくなかったからです。
しかし、がん治療と間質性肺炎で肺の3分の1の機能を失い、ハンディキャップを負った身体ではなかなかタイムは出ません。結局、ハーフとフルは、病気前のタイムの足元にも及ばなかったです。
しかしどういう訳か、ウルトラではそれができました。
2015年、2016年とサロマでの自己ベストを更新し、破竹の勢いで、2018年に自己ベスト更新しサロマンブルーを達成。
ランナーズ賞は、がんから復帰した一連のストーリーを評価して頂き、記事化されました。
あのころは「さらなる高みを目指して次の目標を立てる。そして達成する」この繰り返しでした。もちろんトレーニング量を増やしたからなのですが、このまま上向きのランニングが続くのではと思っていました。
2025年1月、大学病院で詳しい検査を受けたところ、肺の難病・進行性肺線維症を発症しているとわかりました。前年の「サロマ湖100kmウルトラマラソン」をまさかの30kmでリタイヤし、その後も息苦しくて思うように走れなかったため病院で原因を調べてもらったのです。
肺活量がピーク時の半分以下。61歳なのに82歳のお年寄り並みの肺機能にまで落ちていました。不可逆的な肺疾患のため、肺はもう元には戻らない。時間とともにさらに肺機能が落ちていくだろうと告げられ、絶望的な気持ちになりました。生存率が高くないことも併せて伝えられました。
さらに、肺に負担をかけないために今後はランニングを禁止するよう医師から告げられたときは、救われ難い気持ちになりました。今、再び試練と向き合っています。
3月から薬物治療を続けていますが、肺活量がさらに落ちることなく落ち着いているため、週1回の短いジョギングであれば、と医師からランニングの再開を許可されました。
私からランニングを取り上げると「うつ」になってしまうと私が主治医に懇願したからです。
今は週3回ほど走っています(主治医の許可は得ていませんが)。ただし 9kmに1時間半もかかり、走力は極端に低下しました。正直、打ちのめされたような気分が続いています。
しかし、まだあきらめていません。
「2019年のサロマ、あれが最後の完走だった」と言いたくないのです。
現在61歳ですが、「60代のうちにもう一度サロマ湖100㎞を完走する」これを目標にゼロから身体づくりに挑んでいます。
主治医は、難病・肺線維症でランニングをしている患者なんて聞いたことがないと言います。
肺の難病を抱えてもなお60代で「サロマ湖100㎞ウルトラマラソン」を完走したと言えるように、いま頑張っています。
まだ8年あるから、何とかなるのではと可能性を信じています。
私にとってランニングは、前向きに生きる「大いなるチカラ」です。お伝えの通り、40代で「がん」、そして60代で「肺の難病」を患い、2度も試練を経験しています。だからランニングに復帰するということは、そこに「挑戦」があり、自らに誇れる「努力」があります。
日々の鍛錬からレース当日まで、ランニングは私にとって前向きに生きる「大いなるチカラ」を与えてくれています。
すべてに言えることですが、長く続けることは絶対的な価値があります。貴社の50年の節目に思いますが、『月刊ランナーズ』の功績はとても大きいです。
ランニングにテクノロジーを導入し、この国にランニング文化を広め、多くのランナーを育ててきました。私もランナーズ誌に育てられたひとりです。
長く続けていただき、ありがとうございます。
今後は「いま試練と向き合っているランナー」をときどき紹介してください。
自身を振り返ると、ランニングは、ケガ・故障・病気、そして老いとの闘いです。ランニングをしていると、良いときばかりではなく、必ず谷底を這うような辛く苦しい時期があります。
『月刊ランナーズ』では、ときどき病気・ケガを乗り越えた人たちの勇気づけられる記事が掲載されますが、治療・リハビリの渦中にある患者は「いい話だが、今の自分には想像できないような遠大な結果だ」ととらえてしまうこともあります。精神的に苦しい治療期・リハビリ期・老い期、にありながら「まだ、何もあきらめていない」人たちを紹介していただえると「あの人も頑張っているんだから、自分も頑張ろう」という精神的支柱になり得ると思うのです。
※いちばんの理由は、私がそういう人の記事を読みたいのです。
※そういうランナーを探すのは大変でしょうけど、昔一花咲かせたランナーのなかには、今もがいている人がきっといると思います。
結果は出していないけど、「もがき中」の高齢ランナーの話は、とくに60歳を過ぎて老いや病気に向き合っている読者たちに読まれると思いますよ。
添付頂いた誌面を拝見して、どれも懐かしく当時を思い出します。
当時、取材をしていただく際のライターさんがとても一生懸命で、そんな思いにつられて私も楽しく、前のめりに話す自分がいましたね。
写真を撮っていただくのも嬉しくて、毎回とても励みになっていました。
膝の痛みに加えて、捻挫で痛めたところもあり、年齢も重ねていつもどこかしらに痛みがある感じで、1日おきに10ー13kmのジョギング、ほかには筋トレやヨガ等でコンディショニングしています。
また、ありがたいことに、年内もゲストランナーとして各地で走らせていただく予定です。今後も自分の身体と相談しながら可能な限りジョギングを楽しみ、ときにはウォーキングも気分転換にも取り入れてみようと思っています。
走ることで新しい自分との出会いもあり、行動範囲も広がり、五感も喜びます。心身ともに充実させることができる手段です。
走っていると、走れる自分の健康のありがたさや、平和の大切さを改めて感じさせられます。
このたびは『月刊ランナーズ』50周年おめでとうございます。
長きに渡っていろいろと取材していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
ランナーズさんは市民ランナーの専門誌として、マラソン大会の案内等だけではなく、栄養面やトレーニングのアドバイス等で頼りになる指南書として皆さんを支えてくださいました。
特定の指導者がいないことが多いランナーの皆さんにはとても心強かったと思いますし、ランナーの裾野も広がりましたね。
インターネットが広く普及した現代社会においても、直接手に取れる情報の存在は貴重です。
想像力が掻き立てられ、手元で広がる臨場感は、ランナーズのような情報誌の大きな魅力です。
今後も楽しませていただきたいと思います。
2005年ですから、私は50代半ばだったと思います。タレントの間寛平さんとの出会いとギリシャスパルタスロンでのサポートに関する対談です。寛平さんと1990年に出会ったことで、私自身の人生が大きく転換していきました。寛平さん自身もランニングを通じてタレント人生が大きく変わっていったのですから「出会い」が紡ぐ不思議さをつくづく感じる出来事でしたね。
その後寛平さんと共に「24時間テレビ」のマラソン企画誕生へと導かれるわけですから、やはりスパルタスロンは私にとっては人生のターニングポイントのひとつといえる出来事でした。
2024年の24時間テレビを最後にランニングとは遠ざかっています。10年におよぶ家内の介護と別れ(死別)はやはり人生観を大きく変えるきっかけになりました。長年患っている腰の具合も思わしくなく、ランニングすることが叶わなくなったことも遠ざかった理由です。
人生の新しい扉を開いてくれたもの。
ランニングとの出会いがなければ多くのランニング仲間や大会づくり、地域との関り、24時間テレビ、起業など人生の中身自体がまったく違ったものになっていたと思います。
昭和51年に創刊された『月刊ランナーズ』の存在は、国内市民ランナーにとって大きな指標や知識を与えてくれた存在だったと思います。それまでは『月刊陸上競技』や『陸上競技マガジン』といった陸上競技選手に関する記録中心の情報しか得られなかったですから、シューズを始めウエアや大会情報、さまざまなアイテムや市民ランナーたちの情報など、ランニングを趣味として楽しむ人たちにとってはバイブル的存在だったのではないか?と思いますし、記事を通じて時代背景などを垣間見ることができる貴重な存在だと思います。
少子高齢化によって人口自体が漸減してはいきますが、ランニングを趣味や健康管理のツールとしている市民ランナーたちのためにも末永くランナーの指標として刊行し続けていっていただきたいと思います。
懐かしく思い出しました。そのころに自分の理想のレースを語り、その後体現できたのは嬉しいです。何よりも嬉しかったのは、久しぶりに小出監督の言葉に触れたり、鈴木博美さんの存在を感じたり、多くの周りの人がいて下さったからこそ進めた道だとあらためて感じることができたことです。感謝の思いでいっぱいです。
今でも走っています。練習は基本的に速さを計ったりはしません。それは現役時代にたくさんしましたから。今はテクテクと歩くような速さですが、自然を感じて自分自身と対話をし、悩みや考えをまとめる自分と向き合う時間になっています。現役時代と考える内容は違っていても、今も昔もランニングの楽しみ方は同じですね。
人と人とを繋げるものです。走っていたから知り合えた人、繋いでいただいた縁が私の人生の中でいちばんの宝物です。参加するマラソン大会でも、今なお広がる繋がりを大切にしたいです。
マラソンはひとりで走る競技で孤独と言われますが、孤独ではありません。仲間がいて、応援してくれる人がいて、支えて下さる方々がいます。ひとりで練習をしている人も『月刊ランナーズ』から得る情報や他のランナーの考えを共有できることは心強く、マラソンへのモチベーションになると思います。多くのランナーを繋いで、生活の中にスポーツを身近に感じられるきっかけになる素敵なランナーズでいて下さい。
初めてランナーズに登場したのが2000年5月売り(7月号)で、「レース中の給水、どれだけ飲むか?」という内容でした。担当は幸村さんでした。それから御社とのつき合いが始まりました。
原稿で印象的だったのが、2002年8月売りの10月号。表紙に「あなたもできる! 高橋尚子のフラット着地」と題して、特集を組んでいただきました(担当は高瀬さん)。それまでランニング(ジョギング)は踵着地が教科書的でしたが、フラットに着くことが記録向上に貢献し、これからの走りであるとした主張は、当時大きく取り上げられたように記憶しています。また、その号が発売された数ヶ月後に高橋尚子さんが海外のマラソンで優勝し、解説の増田明美さんが「高橋さんは、フラット着地」と解説したことも後押しになりました。それ以降、重心の真下にフラット(あるいはフォアフット)で着地をする走り方が定番になりました。
単に走るだけでない、いかに“上手に走るか”。市民ランナーにも走る技術を提案した出来事でした。
一方で、早いうちから「高地トレーニングを市民ランナーにも体験できないか」と思い、当時編集部にいた松田さんと毎週のように富士山に登りに行きました。その頃は、現在のような登山規制はありませんでした。私の自宅に泊まり、早朝に出かけて西宮口(5合目の標高が2500mで、最も高い登り口)からガツガツ頂上まで登りました。「標高の高いところに行くだけで、それを繰り返すと疑似高地トレーニングになる」とする趣旨を誌面で紹介したように思います。
なぜか富士山に行くと肉が食べたくなり、筋肉をそれだけ使っているんだなと実感します。松田さんと、街に戻って焼き肉屋で乾杯したのも良き思い出です。
「ウチの朝ごはん」は、私よりも家族にとっても良い思い出になりました。家族全員が、初めて雑誌に登場した1ページです。
ページでは、休日の朝に走ったあと、ブランチで庭に作ったピザ釜に火を入れ、秋晴れの澄んだ空気の中でピザを食べる……。そんなシチュエーションでした。途中から、取材に来た皆さんと食えや飲めやのパーティーになりました。今でも時々釜に火を入れ、“大人の火遊び”を走ったあとに楽しんでいます。
ランナーの最大酸素摂取量測定がライフワークのひとつであった私に、測定結果を誌上でコメント(測定評価)するのは面白い企画でした。そのおひとりに弓削田眞理子先生がいらっしゃいました。昨今多く見かけるようになった、ハイパフォーマンスなシニアランナーを研究するきっかけになりました。現在、大学院で勉強している猫ひろしさんが同様のテーマを掲げており、少しばかりのお手伝いをしています。
これまでの雑誌で書かせていただいた記事を思い返すと、ランニング(マラソン)の快適なコツやトレーニングのツボを紹介してきたように思います。経験知と形式知(理論知、科学知)の両側面から、“走る遊び心”をお見せできたのではないかと感じております。
現在、59歳です。還暦に、加齢に抗いながら、還暦に合ったマラソンを走ろうと考えトレーニングをしていました。しかし3年前に膝に水が溜まってしまい、一時走ることを中断。その後ヒアルロン酸を定期的に注射しながらも、(おっかなびっくり)少しずつ走っています。学生にその話をすると、「だから先生は顔がツヤツヤなんだ」と言われ、「違う! 顔じゃなくて膝!!」と冗談を言い合っています。なんとか、来年にはマラソンを走りたいと願っているのですが……。
最近箱根駅伝で活躍し始めた某大学の測定に、山地啓司先生と昨年から関わっています。能力のあるランナーの測定は面白いものです。競技力があることに、なるほどと感じる選手と、記録は良いけれどここが弱点だなと感じる選手がいます。測定結果は、嘘をつきません。現場で測定することの意義を改めて感じています。
以前から、歩くことにも興味が向いていました。そのひとつにポール(ストック)を突いて歩くノルディックウォーキングがあります。ポールを持って歩くだけで、そこには技術が必要になり、スキル修得の面白さが加わります。走ることができないときはポールを突きながら田舎道を歩いたり、そのまま低山に入りトレイルを楽しんだりしています。
つい先日、アールビーズ社が企画する「Sunrise to Sunset Walk」のプレイベントで、日本テレビアナウンサー・古市幸子さん司会によるトークショーに登壇いたしました。42.195kmには、歴史的、文化的に意味が存在します。だからこそ、魅惑的で魅力がある距離なのです。42.195kmを歩くこのイベントは、走ることにハードルを感じる若者(もちろん、中高年も!)を取り込む可能性を感じています。歩くことの世界が、さらに成熟していく。そのお手伝いもしていきたいと考えています。
高校時代に陸上競技部に入部したことから、私の走る生活が始まりました。大学ではインカレや箱根駅伝の予選会に出た程度で、大した活躍ができませんでした。走ることについて大きな転機がふたつあり、ひとつが上智大学陸上部でのコーチ経験でした。もうひとつが群馬大学大学院で山西哲郎先生に師事したことです。
いつの年齢においても、常に走ることと絡んで時間を過ごしてきたように思います。研究でも走ることを意識した内容が多いですし、仕事もランニングを絡めて広がりをもつことができました。
振り返り、そして気がつくと、走ることは私のアイデンティティーになっていました。それだけに、走ることを止めてしまうと山本が山本で無くなってしまうと考えています。つまり私にとって走ることとは、自分が自分であることを確認していることなのです。
最近では走ること、歩くことについて、目的として単に身体を移動させているだけではない世界観を感じています。よく冗談で「ビールを美味しく飲むために走っている」と言っていますが(確かに、事実です!)、それだけではないのです。汗をかいて身体が喜び、脳が快楽を覚え(いろいろな分泌物によって脳が刺激される)、そして心が満たされていくのです。総じて、人間(私)そのものが歓喜しているのです。単純に手足を動かしているだけでない細かな動き、走って感じる五感、浮き立つ感情の機微が、確かに存在しているのです。こうして哲学的(なんて言うと、難しく感じてしまうのですが)な思いに至るのも、走る魅力のひとつだと考えています。
50周年、おめでとうございます。
ランナーズという雑誌、御社の歩みが積み上げた半世紀は、走る世界のオピニオンリーダーとして大きな影響を世に与えてきました。多くのランナーはそのリーダーを意識して、意識するほど走ることに傾倒していきました(私も、そのひとり!)。
私が『月刊ランナーズ』を手にしたのは、なんと中学3年生の時です。走るのがいくらか得意であった少年は、本屋で目にするのは陸上競技マガジンや月間陸上競技でした。ところが、偶然通りかかった横浜駅のバギオスポーツ(当時存在したスポーツ店)で、平積みされたランナーズを手にしてしまったのです。内容にはアイシング? リディアード? 無知な中学生には魅力的で、面白い世界が広がっていました。橋本治郎前社長に伺うと、手売りをしていた頃だったとお聞きしました。当時は隔月間での販売だったと思います。2カ月先が待ち遠しく、発売日にはむさぼり読んだものです。そのランナーズに、やがて自身が関わることなど少年には想像できませんでした。
ランナーズに原稿を書き始めたころ、私が書いたのは恥ずかしさ満載の拙い文章でした。下条由紀子元編集長から直接朱を入れていただき、加えてさまざまなところでご指導・ご指南を受けることができました。とても厳しくも温かなご助言で、今の私に活きております。
やがて原稿の登場が多くなり、よく編集部の取材を受けたのが(当時私が勤めた大学のある)神奈川県厚木です。私もずるく、約束は午後にして、必ず「シューズ持ってきて」と伝えます。取材が終わると、編集部員と眼前に広がる山に走りに行き、その後ビールを飲む……。走りながらいろいろなことを語り、ビールを片手に走る未来を想像し、ランニングワールドにどっぷりと浸かった、至福の時間でした。のちに編集部員に聞くと、それを「厚木詣(もうで)」と言っていたそうです。当時若かりし黒崎社長や行場編集長がいて、お名前を書ききれないほどたくさんの方たちと交流しました。
今は、本が売れない時代と言われています。それでも、雑誌を手にしてページをめくる。デジタルな媒体ではなく紙の媒体が存在する意味が、確かにあるのです。“月刊ランナーズ”、そして“アールビーズ社”には、走ることを含めたDo スポーツで人が幸せになることを伝えて続けてほしいと願っています。雑誌、イベント、他にもたくさん、御社がやるべきことがあるに違いありません(僭越な物言い、お許しください)。
次の50年、新たなランニングシーンの創出を期待しております。
プロとして活動するということが何もわからないまま、勢いで飛び出してしまいました。そういうときに取材に来てもらいました。とくに黒崎社長が新人だったとき、アメリカから取り寄せた低酸素テントを色々操作して遊んだのを覚えています。
スズキアスリートクラブの男子長距離ブロック監督をしています。
年に1、2本はフルマラソンを走っています。引退後の自己ベストは3時間23分です。
フロー状態
駆け出しのときから、見守るように掲載してもらってありがとうございます。これからもランニングの奥深さ、楽しさをともに広めていけたらと思います。
まさかランニング界の巨人である『月刊ランナーズ』さんにお声がけをいただき、一緒に大会をつくることになるとは思ってなかったのでとても嬉しかったです!
いまはコーチングしたり、自分も走ってます。
自己表現ですね。
皆さん、トラックにもぜひ来てください!
ひとりで走るだけだったランニング生活から、岩本瞳さん、鈴江愛さん、長谷川朋加さん、藤井ちひろさんとの出会いで、走ることがより一層楽しくなりました。関西テレビ局巡りやパン屋さん巡りのランニングやお揃いの服を着て走ったり、ひとりではなかなかできない走り方をすることができました。
練習は大阪市の大川沿いと大阪城が多いです。大会は「名古屋ウィメンズマラソン」は毎年参加、今年は「高知龍馬マラソン」に職場の同僚と出ました。記録を狙うのではなく、仲間と旅を楽しみながら高知を訪れ、エイドと景色を楽しみながらのんびり走るフルマラソンを体験しました。
太らないための秘訣!
走るのをやめたらみるみる太ります(笑)。
新しい仲間に出会えたり、職種、性別、年齢を越えて、人との繋がりが増えました。普段関わらない方との時間が、人生を豊かにしてくれています。
50周年おめでとうございます。
『月刊ランナーズ』に載りたくて、フルマラソンを始めた私。「teamR2」に選んでいただいたことで、走るという楽しさを感じることができました。走ったり、ときには休んだりしながら、結局やっぱり走ることを選んでいる私。これからもきっと走り続けると思います。ランナーズとともに走り続けたいです。
駆け出しのころ、撮影が一発で上手く決まらず何度も走ってもらったり、ポーズを取ってもらうことが多く、モデルさんに気兼ねしていたのですが、ランナーズのモデルさん達からは何度でも走れるから遠慮しないでと笑顔で言っていただき、とても気持ちがラクになったのを今でも覚えています。
身体を使った撮影が多いので、体力と体重の維持のため、子供の自転車の練習を兼ねて毎月100kmを目標に走っています。
メンタルと健康のバロメーター
カメラマン歴が、そのままランナーズでお仕事をさせていただいた時間になります。20年、長いようであっという間でした。50年の歴史の一部に関わらせていただいたことを嬉しく思います!
「TeamR2」 9期の撮影会が初めての活動でした。全国各地で走る同世代メンバーとの初対面はとても緊張していましたが、多方面で活躍する仲間との出会いは刺激的でした。活動期間中はコロナ禍により、なかなか一緒に活動することができませんでしたが、最近は大会に参加すれば再会することができ、みんなも頑張っているから自分を頑張ろう!とモチベーションを高める原動力になっています。
旅行も兼ねたマラソン大会遠征
亡き祖父から教えてもらった生涯続けられる趣味。健康のためだけでなく、単独で気分転換、友人とおしゃべり散策、目標達成に向けた練習など、そのときの気分や目的によって内容を選ぶことができ、時間や場所に縛られることなく楽しめる、人生を豊かにする趣味。
『月刊ランナーズ』創刊50周年おめでとうございます! 祖父もランナーズを愛読しており、世代を超えて愛される思い出が詰まった貴誌の大きな節目に、心からお祝い申し上げます。これからも益々のご発展をお祈り申し上げます。
『月刊ランナーズ』の読者にトレイルランニングの景色を見せれたのは素晴らしいことでした。
トレイルランニングレース・文化の撮影。子供たちへのトレイルランニングの普及活動。
メンタルコントロールに不可欠な存在
50周年おめでとうございます。さまざまなランニングをこれからも楽しんで下さい。
これまでに何度も誌面に掲載していただきましたが、特にコロナ禍での表紙の撮影を鮮明に覚えています。当時福島テレビに勤めていたので局アナという立場だったのですが、上司が快く許可をしてくれたうえに、表紙を務めた号の宣伝を、担当番組でさせてくれました。『月刊ランナーズ』を持って生放送に出る日が来るなんて……と嬉しかったです。
撮影が行われたのは紅葉のきれいな時期で、ロケーションも良く、自分の住んでいる街で撮影できることがとても貴重な経験でした。また、ランナーズ史上初めての地方表紙撮影ということもあり、心に残っています。
さまざまな衣装に着替え、トータル3000枚以上撮影したのですが、まったく疲れもなく「もう終わってしまったのかぁ……」と最後は名残惜しさも覚えました。
実際に書店で並んだランナーズを見たときは心拍数が上がり、どきどきわくわくしたのを覚えています。自分が表紙になった雑誌を全国の書店で見られるなんて……! 家族もとっても喜んでくれました。
趣味でも仕事でも深く携わっています。現在も月間3〜400km走っており、週4〜8回ほど走っています。
日本のみならず、最近は海外マラソンに参加することにハマっており、世界中を駆け回っています。
国内ではさまざまな大会にゲストやMCで呼んでいただき、応援しながらランナーのみなさんとの交流を楽しんでいます。
かけがえのない存在です。
ランニングに代わるものを例えられないくらい、唯一無二です。
50周年おめでとうございます。わたしがランナーになったとき、はじめて手を取ったランニング雑誌が『月刊ランナーズ』です。右も左も分からない、何の知識もないなか、ランナーズの情報に助けられました。また、紙面に掲載されている頑張る皆さんの存在に背中を押してもらっていました。私も自分のランナー人生50周年を祝えるように、ランナーズに負けないくらいパワフルに頑張っていきます!
60歳を過ぎて、仕事も減り、大好きなランがめいっぱいできて記録が伸びていた時、ランがいちばん楽しい時期でした。自分に自信がみなぎっていましたね。
最近は、生徒たちと走る機会が減り、大人たちと走るようになりました。自分がこれまでに築いてきたこと、学んだことを人に教えるのが、心底、好きなんですね。教えることで、その方のタイムが伸びていくことが、すごくうれしいです。また、自分の走力も役に立つため、練習会等ではペースメーカーもしています。42kmを引っ張って、その方が目標タイムを達成したとき「ありがとうございました!!」と握手を求められた瞬間は、何ものにも代え難い感動があります。そして、自分は前人未到で世界初の、W65歳以上のサブスリーに向け、全力投球で走り続けています。
ランニングは夫に次いで2番目の私の大事なパートナー!!
思えば今から40数年前、大学で中距離をやっていたころ。陸上部の先輩が、こういうランニングの雑誌があるんだよ、と『月刊ランナーズ』を私に見せてくれたのが最初の出会いでした。市民ランナーさんがほとんどいないあのころ、こういう雑誌があることに妙に感動しました。
その後、ひとりでマラソンを続けて行くなかで、練習方法等、まっくわからないとき、私にとってランナーズはバイブルでした。片時も離れることなく読み続けました。とくに結婚後、ひとり目を12月に産んだ時、出産後一年でマラソンを完走した女性ランナーさんの記事が載っていたのは印象的です。私も彼女を模範にして練習を積み、それから11カ月後の「河口湖マラソン」(現:富士山マラソン)を3時間30分で完走しました。今から40年ぐらい前の記事でした。
また、今から20数年前の40代のころは、雑誌の末尾に掲載されていた全国のマラソン大会開催についてのページを見るのが大好きでした。どこの大会に出ようか考えながら、大会要項を主催者から送ってもらって、そこに付いている郵便振替用紙を切り取って、郵便局に持っていったものでした。あのページのおかげで、たくさんの大会に出ました。
大会とは、某ランナーさんと同じで、私もレースが練習、そして最高の癒しの時間、ストレス解消の時間でした。さらにもうひとつ、市民ランナーにとって、ランナーズ賞は最高の賞です!! 私もこの賞がもらいたい!!と、この賞ができた時から、何十年も思い続けていました。そして、年齢別の世界記録を出して、一昨年に栄えあるランナーズ賞をいただくことができました。まさに、ランナーズとともに、私のランニング人生があったと言えます。
今年の「サロマ湖100㎞ウルトラマラソン」では、1986年初回大会から連続して完走できて本当に幸せだと思っています。また3年連続中止でしたので、40回完走まであと3回頑張ろうと思っています。
現在「サロマ湖100kmウルトラマラソン」を連続37回完走し、40回連続完走に向けてトレーニング中です。これができたら次は50回連続完走を目指します。60歳代になり、現在の年齢や体力に合わせた練習方法を研究・実験しながら走っています。
生きる力。要介護5の家族とともに生きていくには精神力と体力が必要で、ランニングでその力を獲得しています。前向きに進む力を、走ることで得ています。
ランニングは自分の状況に合わせて目標や方法を決めて、創意工夫しながら自分の脚で走ることでしか得られない特別な経験に最大の価値があると思っています。是非ご自身のランニングで、特別な、自分だけの価値ある経験を楽しんで欲しいと思います。
「teamR2」第9期として紙面に登場させていただきました。それを機にランニング仲間の輪が広がり、自分のことを知っていただいたり応援していただいたりするきっかけになりました。全国の人と繋がるきっかけを与えていただいたことに感謝しております。
記録を狙うランナーとして、週6日毎朝4時半からひとりで練習に励んでいます。2年半前に初サブスリーを達成しました。直近7本中6本サブスリーをしていて、現在の自己ベストは2時間55分です。毎年、大阪国際女子マラソンと東京マラソン(準エリート)には、欠かさず出場しています。
私は小学校教諭をしているのですが、HOKAの広告(大阪国際)や地元の新聞に掲載されたことで、マラソンランナーであることを学校の子どもや保護者、地域の皆さんに知っていただくことになり、“マラソン先生”としてのキャラクターを確立しました(子どもや保護者の方に良い意味でマラソンランナーであることをイジってもらいながら、楽しく仕事をすることができております。笑)。
記録を出し続けることで、「先生みたいにマラソンが速くなりたい!」「岩城先生みたいな学校の先生になりたい!」と憧れの気持ちを抱いてくれる児童がいます。そのことをたいへん喜ばしく思っています。
また、勤務している学校で、毎年陸上競技大会に向けて児童に1000m走の指導をしているのですが、大会が終わった後も指導を受けたいと言ってくれる子どもが何人もいて、半年間ほど放課後にランニング教室なるものをしています。中には、市町村対抗ジュニア駅伝の代表に選ばれる子がいたり、校内マラソン大会で学年ビリだった子が、フォームが改善され走力が格段に上がり、上位でゴールする姿を目にしたときは、涙が出る程嬉しかったものです。この後の文章にも続きますが、公私共にランニング抜きでは語れない生活・人生を送っております。
ひと言でいうと、生きがいです。走ることは、自己肯定感を高め、自分の存在意義を感じさせてくれるものです。本気でランニングを始めたのは8年前。お腹に病気が見つかったことがきっかけです。病気で辛い気持ちを紛らわせるため、そして自分に自信をつけるために、フルマラソンに本気で取り組むようになりました。半年間必死で練習して大阪国際女子マラソンの切符を掴んだときは、最高に嬉しかったです。大阪国際女子マラソンに初出場した直後に手術をしましたが、治りきらず……。持病との付き合いは今もなお続いていますが、病気が発覚した当初抱いていた絶望感や劣等感はすっかり消え去りました。今では、自分に病気があることを忘れてしまうくらいで、これから先も、手術をしたり、少し休んだりすることがあっても、「また走り出せばなんとかなる!」と前向きな気持ちで過ごしています。
ランニング(マラソン)を通じて、全国のランナーの皆さんと繋がれることがいちばんの魅力です。そして、高みを目指して記録を出し続けることで得られる達成感、同じ大会を走るランナーとの一体感、応援していただけることで感じられる幸福感は何ものにも代えられないと思っております。いま、元気な身体で走れることと、応援してくださる方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。
【仲間や読者の方へ】
走ることで、全国のランナーの皆さんと繋がることができて嬉しいです。これからも、各々の目標や楽しさのために、走り続けて、日本のランニング界を盛り上げていきましょう!!
【編集部のみなさんへ】
『月刊ランナーズ』創刊50周年おめでとうございます!!ランニング親善大使に選んでいただいていなければ、サブスリーできていなかったと思います。(R2の皆が次々サブスリーを達成していくので、プレッシャーがありました(笑))
これからもお体に気をつけて、取材に編集作業に頑張ってください!!
ランナーズではこれまでたくさん取材をして頂きましたが、一番記憶に残っているのは、表紙に掲載してもらった時です(1983年11月号※ナイキOTCマラソンで日本新記録)。これは私が人生で初めて本の表紙になったものでした。
私の家は専業農家で両親が忙しく、私は祖母に育てられたおばあちゃん子。その祖母がとても喜んでくれて、ランナーズをずっと仏様に飾っていました。2016年の小出義雄監督との対談も、今までで一番楽しい対談でした。
ランニングは私にとって人生の伴走者で、ずっと一緒にいるものです。今は解説の仕事やパラ選手の応援を力いっぱいしていますが、私自身も週4日は走っています。出張の時は全国各地を旅ランしていて、最近は夜と朝の表情が違う松本城に感動しました。
マラソン大会で感じるのは、ランナーの皆さんがすごく前向きなこと。人生で色々あっても、皆さんきっと、前に進みたいから走っているんですね。そんな皆さんと話していると、私も元気になります。
市民ランナーの皆さんの「拠点」になっているのがランナーズだと思います。月刊誌に載った情報を見て共感したり、刺激をうけたり。これからも皆が集う場でいてくださいね。
「teamR2」として大会で走ったり、舞台の上で話したり、貴重な経験をさせて頂きました。とっても楽しかったです!
育児をしながらなので、気分転換にジョギングしたりインターバルで追い込んだり。大会は育児が落ち着くまで、タイムより楽しい日を過ごせるようにエントリーしています。
自分時間と健康維持で欠かせないことです。
ランニングでたくさんの方々と繋がれました。刺激もたくさん頂き、これからもまだまだ走り続けたいと思ってます。一緒にランニングを楽しみましょう‼︎
「希望の星」という企画にて、加藤学園の主将だった下田裕太くんをメインビジュアルで撮影したことです。
その年の全国高校駅伝に初出場し、後に青山学院では箱根駅伝で3年連続区間賞、実業団でも別府大分で2位と活躍されました。当時はこの子がそのような活躍をするとは思いもしなかったので、その成長ぶりには驚きました。
昨年の静岡マラソンで惜しまれつつ引退されることを聞き、私も偶然にもエントリーしていたので、レース後には当時の写真にサインしてもらったのが良い思い出と宝物になっています。
現在は、暑くても寒くても雨でも関係なく毎月300km走ると決め28ヶ月目に突入しました。目標としては、別大でサブ3を達成し「ランナーズ写真館」に掲載されれば最高だと思っています。
アンチエイジングです。同年代と比べても若く見られるし、健康診断もほぼA判定です。
創刊が1976年で、偶然にも私と同じ歳で親近感が沸いています。来年から年代別が50代になりランキングが上がると思っていましたが、ランナーズを読んでいると今の50代は本当にレベルが高く、簡単ではなさそうです。50年後、100歳ランナーはいったい何人いるのだろうと考えてしまいます。雑誌とともに、50年後も歩み続けて行けたら幸せです。
ふたつあります。
まず、2021年コロナ禍での「外を走れる喜び」、「走ることで出会える人や景色」を誌面を通じて分かち合わせてもらえたのは、まさに『月刊ランナーズ』を通じて、孤独に走っていても走ることが人々へと繋がっていると感じられる、大きな喜びでありました。
次に、2022年「服部足祭り」の開催。コロナ禍を経て、健康や人生の見直し(意識)が変わっている中で、アールビーズさんとともに「服部天神参るズ(走る=祈る)」を立ち上げ、特集いただけたことです。便利さの中で「動かないこと」が普通になってしまった現代ですが、ランニングは健康を取り戻すだけでなく、「自分らしく生きる勇気」を取り戻す行為であるということも伝えていける企画となり、今なお発展していくきっかけとなりました。
プロアドベンチャーランナーとして、前人未到の世界最難関レース「アラスカ1600kmの10回走破」に挑んでいます。2023年に日本人初走破をし、今は世界初の10回走破へと邁進中です。
国内では長く走る練習も兼ねて、2014年から歴史街道ランを行っており、現在までに東海道や山陽道や熊野古道をはじめ、20カ所、5,000km以上を走ってきました。目標は人生で全国街道制覇です。
2021年より主催者としても関わっており、誰もが走ることを楽しめる”お祭り”として、参るズ、飛脚うぉーくらん、飛脚まらそんなど、タイムを気にせずただ楽しいと思える場と文化を広げております。
僕にとってランニングとは、「生きる喜びを知る旅」です。
極限の環境で走ると、食べること、眠ること、そして人に見守ってもらえることの尊さを強く感じます。「あぁぁー、嬉しい。生きている」という実感が心の底から湧いてきます。
どれほど孤独でも「誰かが応援してくれている」と思うだけで、もう一歩、前に進める。走ることは、感謝を思い出す時間。支えられながら生きることの喜びを感じる旅です。
現代社会では生きづらさや不安感など多くありますが、ただただ前に進むという、ある意味最も人間らしい行為だからこそ、生きる喜びに気づけるのではないかと。
僕はこれからも走り続けていきたい。そして走ることで、人の温かさと、生きる力を伝えていきたいと思っています。
40代になりましたが、歳を重ねれば重ねるほど、走る奥深さと魅力を感じるばかりです。
ケガや故障も起こってくるなかで、皆さまそれぞれ向き合いながらもなんとか前に進んでいらっしゃると想像するだけで、勝手ながらに仲間だと思わせてもらい、勇気をいただいております。
『月刊ランナーズ』を通じて、これからもより良い未来へとともに進んでいけますととっても嬉しい限りです。
いま見比べると、ウチの朝ごはん~三刀流で、住まいも家族構成も変わり、感慨深いです。
練習し、大会参加し、またイベントの主催者も行うなど、生活の重要な一部です。
健康管理と自己実現のために必須のものであり、生涯向き合っていきたい存在。
いつも関係者の皆さまには大変お世話になります。これからもランニングを一生涯のパートナーとして過ごしていきたいと思います。
2005年のベルリンマラソンを優勝し、廣瀬永和コーチと一緒にインタビューを受けたのがランナーズへの初出演です。
当時の記事を振り返ると、マスメディアから「勝負の野口、記録の渋井」と呼ばれていることを意識して「記録を狙うレースに興味があった。でもタイムに追われて走るのは精神的にきつかった」と話しています。
この頃の私は、どんなメニューでも練習を全て一人でやっていました。陸連合宿などで土佐礼子さんや渋井陽子ちゃんが同じメニューでも別々に練習している姿を見て、「私も一人で走らないと世界一にはなれないだろう」と思ったことがきっかけです。
この選択はメンタル面を鍛えることにもなりました。私の練習メニューを一緒にできる選手はほとんどいなかったですし、ストレスや辛いことがあっても自分自身で解決するしかない環境が、精神的に自分を強くしてくれたと思います。
アテネ五輪の勝負をかけたレースでも、ベルリンのような記録を狙うようなレースでも戦えるようになりました。
引退してから、ランニングが現役時代とは全くの別物になりました。
当時は「仕事」という意味合いが大きかったですが、今は「人生を豊かにしてくれるもの」です。
私は毎日お酒を飲むのですが、飲むだけだと身体に毒が回るような気がします。走って汗をかくことで身体をリセットでき、食べ物も美味しく感じられるようになります。
プレッシャーから解放され、今は、走る喜びを純粋に味わえるようになりました。
自分の経験を子どもたちや市民ランナーの方々に伝えることの大切さにも気づきました。
ランニング教室などで私の経験を共有することで、子どもたちが夢を持ったり、ランナーの方が自己記録を更新できたりすると本当に嬉しいです。
かつてランナーズの表紙を飾った時は「私なんかが」と恥ずかしく思いましたが、今振り返ると、若くてシワもない時に表紙を飾れて良かったと思います(笑)。
これからも楽しく有益な情報を、ランナーに発信し続けてほしいと思います。
「teamR2」 7,8期(2018-2019年度)メンバーとして、マラソン大会での応援や情報発信をさせていただきました。また、2019年に『月刊ランナーズ』の表紙を担当させていただきました。初めての活動は「舞洲24時間リレーマラソン」(大阪万博になり、今となっては幻の大会ですね)で、陽が落ちるまで暑い中走るランナーの皆さんを応援したことを今でも鮮明に記憶しております。
他にもたくさんの機会を頂き、思い出やエピソードはここには書き切れないほどです。もっとも伝えたいことは、いただいたチャンス、出会いや経験の数々が今に繋がっていて、尊いものだったということです。
「teamR2」として実動で参加していたころは、まだ学生でした。あれからもうすぐで10年弱になります。今はフルタイム、当直やオンコールありで勤務しています。忙しい日々ですが数キロ(1kmとかの日もあります笑)の日々のランニングに加え、週末のロング走、シーズン中には1-3回の大会参加(10km〜ウルトラまで)をできる範囲で継続しています。途中コロナ禍もありましたが、昨年は目標であった100kmレース(沖縄)を完走することができました。
楽しみ方は日常〜大会レベルまで多岐に渡ると思います。”今日も走って汗かいた! 私えらい!”と思いながら(笑)美味しいご飯を食べる、好きな音楽を聴きながらのんびり走る、友達としゃべるついでに楽しく走る、R2のころに知り合ったランナーさんと走る、スーパーに買い物に行くついでに走る、日々の積み重ねを大切に大会でちゃんとゴールする、そんな瞬間に感じる幸せがランニングの醍醐味だと思います。
ランニングは私の人生の一部です。
始めたころ(10年前)はそんな存在になるなんて想像していませんでした。むしろ、走るのはしんどいから痩せたらやめよう、くらいに思っていました(笑)。でも、走れば走るほど知らない自分が出てくるし、出会いも増え、楽しくなり、いつしか私にとってなくてはならないものになりました。
『月刊ランナーズ』に関わらせていただけたことで、より深く広く”ランニング”を楽しめるようになったと思っています。活動やSNSを通じてたくさんのランナーさんと出会い、刺激をもらい、新しい目標を常にもちながら走れるようになりました。お話を伺っていると、皆さん、それぞれの日常がある中で走っていて、十人十色の工夫や発想があり、続けていらっしゃるのが伝わってきます。
私は普段ひとりで走りますが、休みの日に友達や家族(最近はついに兄と妹もマラソン始めました笑)と走ることがあります。また、今でもteamR2で知り合った皆さんと走ることがあります。私はこの時間がとても好きです。各々の生活や背景がある中、唯一共通なのは”走ること”です。だからこそ、駆け引きなく、互いに努力を讃え、挑戦にエールを送り合います。
ランニングは他者と比べるスポーツではありません。”自分がどう走るか”がすべてです。そんなスタンスで楽しめるのもランニングの良いところだと思います。
走ることは身体的な健康にも繋がりますが、自分らしさを見出し充実感をあたえてくれる点で精神的な健康にも結びつきます。ふと自信がなくなったとき、とりあえずウェアに着替えて飛び出し、ひと汗かけば身体もすっきりして、”ここが足りないからもっとこうしたらいいんだ”と悩みはちっぽけなものに思えてきて、前向きな気持ちになれます。そんなふうに身体的にも精神的にも自分をニュートラルな位置に戻すことができます。
このように、ランニングへの愛を語れば尽きません(笑)。私にとって家族や友達、仕事と同等に一生大切にしたいと思う存在です。今の夢は死ぬまで自分の足で走り(歩き)続けることです!
人生100年時代と言われますが、最後の最後まで私らしく生きられるように、大切な人たちと人生を楽しめるように、資本である身体を大切にしたいです。持続可能な健康のために走り続けたいと思います。
50周年、誠におめでとうございます。父が定期購読していたこともあり、実家にいたころはいつもテーブルに置いてありました。その雑誌に少しでも携われたことはいまでも宝物です。「teamR2」での活動がなければ、今ほどに走ることを好きになっていなかったと思います。ランニングで私の人生は豊かになったと確信しています。この場をお借りして感謝申し上げます。微力ながらこれからの益々の発展を祈願しております!
社員が100km世界選手権2位 ランニングアパレル業界の異端児「エルドレッソの挑戦」
・この記事を掲載していただいた際は、当時の弊社の全社員で誌面に載せていただき、何か家族写真みたいで嬉しかったです。
ランニングで生きていく
ブランド立ち上げから8年でオリンピックウエアに
・ELDORESOの立ち上げやそれ以前のことも話をして、インタビュー中に「あれ? 俺色んな人に助けられてるなー」って思いながら話をしていました。
個人としては、相変わらずに毎月何かしらの大会に出場して現地のランナーと交流しています。
ブランドとしては、特に来月からは駅伝シーズンなので毎週末高校、大学、実業団とチームウエアやサポート選手が走るので、行ける範囲で現地に応援に行きます。
いつ走るのを辞めても良くて、辞めたらまた走りたくなったら走ればいい!……そのくらいの気持ちでランニングと付き合うように心がけてます。って、言いながらいつも心の中心にあるんだよな。
市民ランナーに寄り添いながらの50周年おめでとうございます。これからも、楽しみにしています。
社員当時にページをいただき『夢舞いマラソン』の成り立ちなどを書いたように記憶しています。2000年くらいだったと思いますが、ボランティアとして『夢舞いマラソン』の事務局に関わり、それが縁で株式会社ランナーズ(当時)に入社させていただくことになりましたので、自分にとっては人生の局面が大きく変わったころだったと思います。
「ランナーズステーション」(ランナー用施設)を設立し、現在はヒビヤライドという施設の運営に関わっております。施設運営とともに、主としてランナー向けの練習会を実施しています。自分自身はランのレースなどは引退しましたが、とりあえず毎日15分だけは走るという習慣を続けております。
98年ころから走り始め、フルやウルトラも経験し、たくさんの先輩や仲間とも知り合うことができました。走っていなかったら、今の人生はまったく別のものになっていたでしょう。そのくらい大きな影響を与えてくれたものです。
創刊50周年おめでとうございます。これからもランニングが健康と人生の生きがいに大いに寄与するものとして広がっていくよう、『月刊ランナーズ』が頑張ってくださることを期待します。
現役時代、ランナーズがあることは知っていましたが「市民ランナー向け」のイメージだったので、自分で購入して読んだことはそれほど記憶にないんです(笑)。
ただ、そうした市民ランナー向け雑誌に我々が活躍していたことを載せてくれていたのはうれしいですね。
市民ランナーの方々を強く意識したのは1981年、ボストンマラソンのためのトライアル(オープン参加) で出た青梅マラソンでした。
スタートから先頭を走って、折り返してみると、向こうから巨大な湯気みたいなものがブワーと迫ってくる。
それは後続のランナーから出る湯気だったんですが、すれ違う時はちょっと怖いぐらいでした。
ボストンマラソンは片道コースだからすれ違わないし、こんなにたくさんの走る人をみたことがなかったので「市民ランナーってこんなにいるんだ。すごいな」と感じました。
今は大会も増えて、市民マラソンが大きく発展している。
それはランナーズさんの貢献がとても大きいと思います。
去年オクトーバーラン&ウォークで100kmを目標にしたら、頑張りすぎてしまったので、今は気が向いたら走る感じです。あとは歩いていることも多いです。
人はなんでも一つぐらい得意なことがあると思うのですが、私はそれが「走ること」でしたね。しかも中村(清)監督が能力を引き出してくれて、運がよかった。
ランニングのおかげで今の自分があるから、これからは社会貢献や人のためになることができればと思っています。
たくさん表紙に載せていただいてありがとうございます。
これからもどんどんマラソン大会を盛り上げてください。そして、日本の全員がジョギングしている世の中になればいいと思います。
高地トレーニングの聖地ともいえる米国コロラド州ボルダーで行われた10マイルレースで、日本人ランナーの姿を見つけ、思わず声をかけました。
それは、日本の市民マラソンブームを牽引し、『月刊ランナーズ』編集長としても活躍された下条由紀子さんご一行だったのです。
当時、実業団選手であり、世間に疎かった私は、ご本人の経歴も知らずに気軽に話しかけてしまいました。しかし後日、あの方が下条さんだったと知り、驚きとともに鮮明な記憶として心に刻まれています。
数か月後の「北海道マラソン2006」で、私は初マラソンにして初優勝を果たし、その様子を記事に取り上げていただけたことを今も誇りに思っています。
さらに編集後記には下条元編集長のお言葉もあり、それを読んだときの高揚感が、選手としての大きな励みになりました。
ライフスタイルの変化により、以前のように十分な走行距離を積めていないのが現状です。
それでも、諸先輩方のように「生涯現役」で走り続けたい気持ちは変わりません。走力を少しずつ取り戻せるよう、日々の暮らしを整えながら試行錯誤しています。
まずは来年のマスターズ陸上で、トラック競技の記録更新を目指します。そして記念大会となる来年の北海道マラソンにも挑戦する予定です。
2006年の第10回記念大会、2016年の第20回記念大会では優勝を果たしました。さて、2026年第30回記念大会は果たして――?!
歯磨きをするように、お風呂に入るように――ランニングは日々の生活に溶け込んでいました。
ところがコロナ禍で、意外にも「ランニングをしなくても生きていけるのか!」と気づき、どこか自分が自分でなくなるような感覚を覚えました。
数年を経て、ランニング界には一世代若い選手たちが加わり、その眩しいほどの輝きに触れると、懐かしさとともに「またあの場所に戻りたい」という思いが胸をよぎります。
年齢とともに変わり、受け入れざるを得ない現実もありますが、それでも私にとってランニングは「肉体」であり、同時に「人生そのもの」なのだと、あらためて感じています。
ランニングを愛する人――たとえ今は過去形であっても、その思いをもつ人は皆、友達であり、仲間であり、家族のような存在です。
そんなコミュニティを築き、「ランニング」という文化を市民スポーツとして根付かせてくれた『月刊ランナーズ』に心から感謝しています。
そして今、人生100年を超え、110年時代が現実味を帯びてきました。
加齢に抗いながらも、時代の変化を受け入れつつ、それでもチャレンジ精神だけは忘れずに――これからも前に進んでいけますように。
何回か記事を書かせていただきましたが、自分の経験や昔の情報から思ったことを書いただけなので、振り返れば現在のセオリーからはずれている点が多々あり恥ずかしい限りです。今はYouTubeやSNS等で最新のトレーニング理論や情報が得られるので、やたらなことは書きたくないなと思います。自分がまだ元気に走れているころはまだインターネットが普及しておらず、大会情報を探すためには『月刊ランナーズ』の購読が必須でした。
現在、マッサージ整骨治療院を経営しており多くのランナーの方々に利用していただいております。市民ランナーを始め、近くに高校駅伝に出場する高校もあることから学生たちもケガの際の駆け込み寺的な治療院になっています。また自らランニングチーム(小田原NR)を主催しており、中学生からシニアランナーまで多くのランニング仲間と日頃切磋琢磨しています
各年代において目的は違いますが、現在は健康状態のバロメーターとして走っています。若いころのようなタイム、スピードを目指すとケガのリスクが高くなります。ケガをすると走れない時間ができることで健康状態が悪くなったり、ストレスが溜まるので、なるべく速く走ることよりケガをせずに走り続けることに重点をおいています
ランナーズ発刊草創期の方々のご努力があったからこそ今があると思いますので、心から敬意を表します。また現在のランニングブームは現在のランナーズの編集部の後押しがあってこそだと思います。継続させることは大変なご苦労があると思いますがぜひ60年、70年目指して頑張ってください。
「今月の川内家」という特集を組んでいただき、家族でリレー形式にて、その月の出来事を執筆いたしました。市民ランナーの皆さまに喜んでいただける情報とは何か、また、どのように書けば分かりやすく伝わるのかを意識しながら取り組みました。ほかにもさまざまな特集を担当させていただき、自身にとってもランニングと向き合う貴重な機会となりました。
現在は月に一度ほど大会に参加しております。併せて、次世代の育成にも力を注ぎ、クラブチームの運営や大会に開催にも取り組んでおります。さらに、ランニングを中心とした街づくりにも力を入れております。
様々な感情を、出会いを、経験を与えてくれるものです。そして、人生の可能性を広げてくれるものです。
この度は、誠におめでとうございます。50年間にわたり、毎月雑誌を作り続けてこられた取材力と継続力に、心より敬意を表します。読者の皆さま、これからも共にランニングライフを楽しんでいきましょう!
アスリート時代は、2019年に「継続は力なり」のテーマで、日常生活のなかでの意識や気付きを大切にしてることを取り上げていただきました。身体の前後・左右・斜め方向のバランスはもっとも気をつけていることでした。現在は当時の生活ほど細かくこだわりをもってやっていませんが、習慣になっているので、「まっいっかぁ」と適当になった瞬間にアスリート時代の私が表に出てきます(笑)。
2019年の結婚後には、伴走家としての活動についても取り上げていただいたこともあります。
現在は、子育てもあり、練習として日常的に走る時間がとれず、リュックを背負っての約1.5kmを朝夕に通勤ランをしています。7月に故郷の富山県へUターンし、「富山県地域おこし協力隊スポーツコーディネーター」として富山県庁に勤務しています。
ランニング活動は、私が代表を務めるランニングクラブ(NikoA's Running Family)の運営、ランニング教室やマラソン大会(常願寺川マラソン)の企画・運営をしています。(ランネット/イーモシコムを使わせていただいています。)その他、ブラインドマラソンの伴走はじめ、障がい者スポーツ活動の普及と支援、講演講師やマラソン大会でのゲストランナー、中学駅伝の解説などを務めています。順位や記録は求めず、今いちばん楽しめるスタイル(仲間とのリレーマラソン参加やジョギング・プロギング)を楽しんでいます。毎週土曜、朝8:00スタートのパークラン(富岩運河環水公園)もときどき参加しています。
喜び、感動、興奮を共有できる場所であり、豊かに生きる原動力。
この度は50周年誠におめでとうございます。
当時は黒崎さんはじめ皆さまに大変お世話になりました。また、掲載いただいたことをきっかけにランナーとの繋がりもいただきました。
これからも『月刊ランナーズ』を通して、全国各地の大会やランナーの皆様の活躍、トレーニングについてなど楽しみにしています。
あのころは生活をかけて走っていたのでとにかく必死でした。
いまはまったく走っていませんが、ランナーの方のフィジカル指導は継続しています。
ほどほどにやるのが楽しく継続させるコツだと思います。
50周年まことにおめでとうございます。
大変お世話になりありがとうございました!
それまではファッションモデルとしてファッション誌をメインにお仕事していましたが、フルマラソンに挑戦し、まさか自分にランニング誌、しかも『月刊ランナーズ』のインタビューページのお話がくるなんて! とても驚きましたし、増田明美さんとの対談も恐れ多かったです! 今となっては貴重な思い出です。
フルマラソンは横浜マラソンを最後に走っていませんが、現在はフィジカルトレーニングの一環で走ったり、マラソンのイベントにも呼んでいただき、タイムだけにこだわらず走ることを楽しんでいます!
ランニングがなかったら今の私はいません!
あの時フルマラソンと出会ったから自分自身と真剣に向き合うことができたし、20年以上継続してこれたのは、私の人生にマラソン、ランニングが必要だったから。ランニングを通してタフな身体と負けない気持ち笑を手に入れることができました。また、東京国際女子マラソン出場を目指していた頃に出会った当時の『月刊ランナーズ』編集者のマユコさんとは、今では海外を行き来するいちばんの親友に……。ランニングが私にもたらしてくれたギフトははかり知れません。
ランナーズ50周年おめでとうございます。
当時は走っているモデルやタレントがいなかったですし、そんな状況の中、モデルである私をランナーズの紙面にたくさん登場させて下さり本当にありがとうございました!
これから「100歳時代」の到来でますます健康に気遣う人達が増えてくると思いますが、今後もランニングシーンをリードしていってください。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します!
『月刊ランナーズ』の表紙モデルに選ばれていなかったら、マラソン大会に出たりランニングが生活の一部になっていなかったので、当時のランナーズ編集部の皆様には心から感謝しています。
初ハーフ、初フルに挑戦するときは、編集部の皆さまが全力でアドバイスをしてくださったり、レース前日にはメッセージ動画も送ってくださり……今でもいろんなことを鮮明に覚えています。私をランニングに導いてくださり、本当にありがとうございます!
走り始めは1km7〜8分ペースで皇居1周5km走るのもキツく、歩いていた私が、フルマラソン3時間1分36秒までタイムを更新することができました。
今も諦めずに3時間切りを目標にトレーニングしています。
大会ゲストランナーとして全国各地を走らせていただいたり、ニューバランスランニングアドバイザー、ファイテンイメージキャラクターなど、さまざまな企業の皆さまともご一緒させていただいております。
ランニングを始めたことがきっかけで、睡眠・食事・温活の資格も取得し、多くの知識と経験を身につけています。
子どもたちに楽しく速く走るコツをお伝えする、かけっこ教室の担当もしてます。
目標に向かう過程で得られる、自身の成長がたくさん詰まっています。できなかったことができた喜びはとても嬉しく、自分を褒めるキッカケになったり、自信がついたり。
仕事やプライベートにも活きています!!
また、新たな出会いが多くいろんな方達とお話ができて面白く楽しいです!
大会があると日々のモチベーションが上がり、ゴール後には、ふだん味わえない感動、喜び、達成感があるから楽しいです!!
50周年おめでとうございます!!
私はランナーズがキッカケで走り始め今があります。心から感謝しています。
毎月いろんな方達の挑戦やさまざまな企画を読み、刺激と勇気を頂いております。
これからもランナーズを楽しみにしています!!
ランナー仲間へ
それぞれのライフスタイルに合わせて
その時々の頑張り方、楽しみ方を見つけて
周りと比べることなく
自分らしく今のベストを尽くしていきましょう!!
ケガが続いて箱根駅伝予選会を通過できなかったときに、当時の下条編集長からトレーナー(十字堂 小松先生)を紹介してもらい、そのケガを根本から改善する身体の使い方や体幹トレーニングの記事に登場しました。紙面上では身体に負担の大きいストライド走法から、ピッチ走法に変えるための大枠のアドバイスをもらいましたが、以降もトレーナーと二人三脚で1~3年くらいトレーニングに励みました。
走法を変えて、その後もトレーナーと二人三脚を続ける中で、フルマラソンで2時間23分前後から2時間16分まで記録を伸ばすことができました。さらに記録を伸ばすため、左右バランスを整える身体の使い方を、また2年ほどかけて取り組んでいます。身体が良い方向に変わっていくのを感じるのは、ランニングを続けている楽しみのひとつです。
20年以上続けていて、周りの方にも応援してもらえる、私のアイデンティティそのものです。
世間ではウェルビーイングの概念が広がり始めていてランニングには追い風が吹いていると思うので、ランニングだけの世界にとどまらず、より多くの人が関わりたくなるような「ランニング」になると良いなと思っています。
2006年、僕もまだ若かったですね。翌年の初開催の東京で2時間55分、その翌年のつくばで、2時間50分で走れましたので、サブ3は達成しました。子供もひとり増えて、今大学院生の長男を筆頭に3人。長男と末の長女(高校2年)は高校時代に陸上部に入り、長男はすでに昨年マラソンを走り、今年、つくばマラソンの授業を履修しています。
つくばマラソンの授業は今年(2025年)で34年目、この間に3200名の学生のマラソン挑戦を支えてきました。TA(ティーチングアシスタント)をしてくれた大学院生も80名。ランナーズでお世話になった、吉岡君、半田君、岩山君、髙山君、三津家君らも、院生時代はTAを担ってくれています。授業の受講生同士で結婚したカップルが18組(僕が知っている数)。なかなかユニークな授業です。
2005年にスタートしたランニングクラブも今年で21年目。3月に20周年記念パーティーを開催して旧交を温めました。
50歳を過ぎて、ますますケガが増えており、自分の身体との戦いという感じです。現在も授業、ランニングクラブなど、多くの方にマラソンを共有してもらう活動は続けています。9月には、研究室の学生6名を連れてケニアにてマラソンシンポジウムを開催してきました。50歳以降、フルのスタートはしているものの、ゴールしたのは実は1回のみ。一昨年から続けている、つくばマラソンのペースメーカーを今年も引き受けるので、何とか久しぶりに完走したいと思っています。
人生、というよりも生活の一部です。「ランニングinライフ」。どこかに旅行しても、走れるコースを探し、観光、探索がてら走りに行きます。また、僕の研究テーマ、仕事でもあります。年齢を経るに従い、ランニングとの向き合い方も少しずつ変えざるを得ず、今でも新しい発見があります。ガチユル走、朝練習、ランニングエコノミー、マラソンのペース戦略、研究室の学生たちと一緒に探求を続けています。「ワークライフバランス」という点で、「ワーク=ランニング」、「ライフ=ランニング」やばいですね。
4年後に定年を迎えますが、その後はスポーツツーリズムの観点で、様々なレースに参加したいです。そのための身体のメンテナンス、頭のリフレッシュを心掛けたいと思います。
始めること、続けること、どちらも素晴らしいことだと思います。僕のつくばマラソンの授業も34年。50年にはとてもかないませんが、小さな変化を常に取り入れながら、ブラッシュアップしてきた成果ではないでしょうか。書籍や雑誌の苦難の時代と言われますが、手に取った現物を手元に残す価値は不変だと思います。これまでにアールビーズの多くの編集者の皆さんとお付き合いさせていただきましたが、今後も紙の書籍の価値があることを念頭に、ブラッシュアップを続けてほしいと願っています。
中学時代から愛読していたので、誌面に掲載していただいたときは嬉しさと感慨深さがありました。恩師への手紙で大八木監督にお手紙を書かせていただく機会をいただいたのが特に印象に残っています。また昨年マラソンで11年ぶりのPBを更新した際に、下駄トレーニングや低酸素トレッドミルのトレーニングのお話を載せていただき、ありがとうございました。
ゲストランナー、MCでマラソン大会を盛り上げさせていただいているほか、部活訪問活動で全国各地の中学、高校、大学へ伺って、一緒に練習に参加させていただき、陸上競技やランニングを応援させていただいております。最近では下駄トレーニングのご指導で故障予防やパフォーマンス改善も担当させていただいております。
中学からずっと走り続けてきましたので(大学ではマネージャーでしたが)人生そのものであり、勉強、成長させていただいてきたものです。人生を懸けてランニングや陸上競技に恩返しをしていきたいです。
いつもありがとうございます。これからもランニングを愛する皆さんに情熱をお届けしてください。現状打破!
何度となく登場させていただきましたが、初めての取材は2000年にギリシャスパルタスロンで日本人として初優勝した時でした。いきなり有名人である増田明美さんとの対談で緊張しました。おしゃれなカフェでカフェオレをいただきながら、増田さんのリードでスムーズに会話が進みました。世代も1学年差で会話が楽しかったです。その後元旦に携帯に留守電が入っており、「出来上がりを拝見しました。とても良い記事になっており嬉しかったです」とコメントがありました。この気配りにより現在の増田さんがあるのだなと思いました。
最近では、数年前になりますが現在はランナーズの編集長になられた行場さんと筑波山に写真撮影に行きました。私は田園地帯で筑波山をバックに撮影してもらいましたが、行場さんも山の坂道を駆け下る撮影をされて走りの完成度に驚きました。間もなくびわ湖マラソンに出場され自己ベストで数々の有名ランナーよりも上位に入ったのを見て、「なるほど」と納得しました。
年齢的にスピードは落ちてきていますが、そもそも走ることで健康を感じられるのが楽しいので、速くなりたいということよりも、できるだけ長く走りたいという気持ちが強く、ひたすらジョグを続けています。そのため仕事がフルに入っている時は平均15km/日位ですが、半日仕事の時は多摩川を使ったコース24km、千葉の当直先に向かう時は70km走り、月間走行距離は700kmになります。
大会は以前はギリシャスパルタスロンを軸に海外レースのみ(24時間走、48時間走)でしたが、最近は国内のレースにも少しだけ参加しています。2006年は国内の48時間走に参加しようと考えています。
2019年にコロナでレースが減った頃に開始した旅ランも、東海道から始まり、山陽道、九州一周と線で結びながら走り続け、現在鳥取県まで走りました。同時に四国のお遍路ランも並行しており、現在第19番札所まで走っています。練習にもなりますが、ランならではの発見も多く地元グルメも堪能でき、現在いちばんの楽しみです。
2000年にスパルタスロンで優勝してから、ウルトラマラソンでの名ランナー達との出会いが国内国外問わず数多くあり、財産となってきました。名ランナーからは向き合う姿勢や人格など学ぶことが多く、それが自分の人間形成にも役立っていると思います。人に説明するときには、ランニングは「趣味」ではなく「ライフワーク」と説明しています。ランニングを中心に生活が動いていす。何歳までも走れる限り続けて、レースも続けたいと思います。ランナーズで80代、90代の先輩ランナーの方々が走り続けている記事を見て、大変刺激になりました。
ウルトラマラソンは真剣に努力しあう仲間と1日あるいは数日ずっと共に過ごします。
住まいは全国バラバラですが、心のつながりは他の一般の知り合いよりも強いことは確かです。会うたびに昔のレースの話に花が咲くことが楽しみで、今後もつながりを深めたいです。
ランニングは続けることが大切で、一度やめてしまうと走るのがおっくうになりランニングから離れてしまうと仲間から聞くこと多いです。記録が伸びている時期は熱が入りますが、ピークを過ぎた後も楽しみながら走り続けてくれる人が増えてくれることを望みます。
取材で出会ったランナーズ編集部の方は、宣伝部、カメラマン、ライターの方を含めると30名位はいるのではないかと思います。それぞれに思い出があり、顔が思いだされます。ここまでランナーズと関わり続けたことに感謝いたします。私の年齢ですとアナログ人間なのでデジタル配信よりも雑誌として手に取って拝見できることが嬉しいです。今後も冊子の継続をお願い致します。
何度も取り上げて頂いてありがとうございました。
最初に取材を受けたのは行場さんで、アミノバイタルの記事でした。取材を受けたのは自分なのに、自分とは比較にならないほど行場さんの方がアスリートとしては上でした。しかもお話をすると、行場さんのほうが科学的な知見もよく存じているようでした。その後の「ランナーと腹痛」の記事でも、その知識と経験の多さに関心したのを覚えています。それから自分も発信をするようになり、少しは知識がついたでしょうか。変わったネット記事を書いては、取材して頂きました。本当に励みになりました。
今後もお互い知識やネタ探しの面で、切磋琢磨する関係でありたいと考えています。ところで、「ストリーカーって知ってますか!?」
自分の住んでいる場所のいいところを再発見するために、街ランをやっています。記録を求める練習や大会参加は、しなくなりました。
日本にも住んでいる地元にもいいところはたくさんあるのに、それを知らずに地方の観光地や海外のマラソンに参加するランナーを多く見かけます。地元のいいところを知って、素晴らしい地域に住んでいるんだ!と知ることは、自身の幸せにつながると思っています。
日比谷ライドを出発点として、街ランをしています。知られていない楽しいところや凄いところを知ることで幸福度が上がると信じていますし、そんなランニングを広めていきたいです。
仏像
毎週ネット記事を書いて、ネタ探しの大変さを知りました。ときには休んだらいいのに……とも思うのですが、そういう訳にもいかないのですよね。
できれば自分のようなおじさんではなく、もっともっと若い方を取り上げて、ランニング文化を盛り上げて下さい!
丁寧に取材して頂きました。今見ると、とても細くて美男ですね。
週末など8kmくらい走ってます。
健康に良いのとコミュニケーションが取れる。
50周年おめでとうございます。これからも更に読者が増える事を祈ります。
マッサージやケアの行い方を、大学の合宿先である北海道常呂町で制作したことが印象深いです。監督に飲みに誘われても、行きたい気持ちを抑えて撮影を続けた覚えがあります。その後に大学駅伝3冠を取ったりしたので、特別に記憶に残ってます。
今は週1〜3回ほど、10km〜20kmを楽しみながら走っています。時々スピードを上げたりクロカン的な場所を走り、変化をつけてみたり。
健康のためと、新しいシューズが出たら機能や感覚を確かめて、治療やトレーナー業務のプラスにしております。
中村清さんの言葉
〔たかがかけっこ されどかけっこ〕
このごとく、今の自分があり、生活の一部。一年を通して世界や国内レースなどを観たり調べたり、楽しみを作ってもらえる存在です。
『月刊ランナーズ』。長い歴史を刻み、節目の50周年おめでとうございます。
学生時代は読者として情報を得たり楽しんだりしていましたが、その後掲載のお話を頂いてランナーズ編集部(アールビーズ)の方々との繋がりをもてたことは、仕事やプライベートにおいてもランニングライフを豊かにしていただきました。
また、市民ランナーさんをはじめシリアスランナーなど、ランニング仲間の方々にもたくさん巡り会うことができ、話や取り組みを聞くことでこちらも勉強になることがたくさんありました。
また60周年、70周年と色んな仲間が増え、話や取り組みを伺えることを楽しみにしております。
故障や体調に気をつけながら、永久にランニングライフを楽しんで下さい。
『月刊ランナーズ』さんには本当に多くの機会をいただきました。
谷川真理さん、ダグラス・ワキウリさん、中山竹通さん、藤原新さん、直近ではジョン・ベノイト・サミュエルソンさんといったマラソンレジェンドの方々にお会いしお話を伺えたことは、大きな財産となりました。
印象に残っているのはやはり中山竹通さんでしょうか。選手時代から舌鋒鋭い方だと聞いていたので、かなり緊張しながら当時監督をされていた愛知製鋼へうかがい、伝説の福岡国際、ソウル五輪、バルセロナ五輪の話を直に聞けたことは感激でした。
藤原新さんとは書籍でもご一緒させていただきまして、彼のユニークな思考と感性が印象深かったです。タイアップ記事ではありましたが、ご存命中に小出監督とお会いでき、その人となりに触れられたのも思い出深いです。
なんだかただのミーハーなファンみたいな話になってしまいましたが、市民ランナーでもあった私にとって、ランニング界に偉業を残されてきた方々との邂逅、そしてそのお話を記事として残せたことは大きな幸せです。
走ってますよ。2008年以来ベストタイムは更新してませんが。今は「毎日ラン」敢行中です。いちばん長く続いたのが2020年11月1日から2025年2月23日までの1575日(自転車で落車して鎖骨を骨折し、終了、今年4月1日から再開し継続中)。今のモットーは「歯磨きするように、走る」。これによって、ベースをキープし、いつでもある程度走れる状態を保つことができています。
間違いなく人生を変えてくれたものです。仕事も、健康も、なんと結婚も(笑)。
50周年おめでとうございます。日本の市民ランナーにインスピレーションとモチベーションを与え続けてくれた偉大なるメディアです。これからも走ることの本質を市民ランナーの目線から追求し続けてください。
何度もお世話になっておりますが、2014年5月号掲載の「朝ラン伝道師、現る!」という記事が一番印象に残っています。というのも、10年以上たった現在でも「朝ラン伝道師の人ですよね」と声をかけられることがあり、『月刊ランナーズ」の影響力の大きさを実感しているからです。当時、このキャッチフレーズ(?)は事前には知らされていなかったように記憶しており、私自身も誌面で初めて対面したフレーズであったかと思います。撮影の工程も興味深く、この時の経験は大変勉強になりました(たとえば自転車に乗りかなりの速度で走りながら撮影する技術に驚きました)。その後は1年間の連載をもたせていただいたりと、『月刊ランナーズ』には私自身とても成長させていただいたと感謝しております。
自己記録更新を目指して走っています。市民ランナーとして環境やライフスタイルがどんどん変化していく中、また年齢を重ねて以前と同じことができなくなっていく中でも、試行錯誤しながらもう少しがんばっていきたいと思っています。同時に現在は大学の陸上部で長距離の指導をしているので、競技者育成の観点からも日々悩みながら学生と接しています。
生活の一部です。よく「モチベーションは何か?」と尋ねられることがありますが、歯を磨いたりお風呂に入ったりするときにモチベーションが必要ない(意識することがない)ように、ランニングも同じくらい自然に取り組んでいるので、モチベーションなどという概念とは切り離された存在です。同時に、走れることは当たり前ではなく、心身の状態が健康でないと走れないということも考えるようになってきました。自分自身や身近な人が病気やその他の理由で走れない時期、走れなくなる事象を目の当たりにして、ランニング(走れるということ)は健康であることの象徴と考えるようにもなりました。ぜひこれからも長く、身近にランニングの存在を感じていたいと思います。
編集部の皆さまは少数で毎月あれだけの記事をまとめられているのは本当に大変なことと思いますが、多くのランナーがたくさんの刺激を受ける媒体だと思います。願わくば今後も長くランナーのバイブルであってほしいと思います。何かご協力できることがあれば微力を尽くしたいと思っております。
2015年1月号から、表紙デザインをはじめとする誌面編集デザインに携わらせて頂いております。2011年にランニングを始めてから毎月買って読んでいた雑誌だったので、制作に関われることはとても嬉しかったです。
ただ単にレイアウトデザインをする訳ではなく、毎回編集部から来た内容をちゃっかり読みながらデザインしています。読者よりも先に読めるのでとても楽しかったです。
ケガにより3年ぐらいランニングを休止していましたが、ぼちぼち再開し始めました。2026年1月の短い距離のレースにエントリーもしています。
生涯スポーツとして捉えています。また、始めた当初は独りで黙々と練習していましたが、練習会に参加したりランニングチームに入ることで、たくさんの仲間ができて、よりランニングが楽しくなりました。
さらに『月刊ランナーズ』のデザインが仕事になっている訳で、ここ10年の人生はほぼ公私ともにランニングと関わっていますから、ランニングには感謝しかないです。
目標達成のために絶え間なく努力をし続けるランナーの皆さんを本当に尊敬しています。ランニングが一時的なブームではなく、ここまで根付いたことは『月刊ランナーズ』やアールビーズさんの功績だと思います。今後も下の世代からどんどん新しいランナーが誕生することを願っています。
私はスポーツ整形外科医です。いちばん記憶に残っている執筆作業は、1年半にわたって連載させていただいた『ランナーに生じやすい痛みと障害』のシリーズです。毎月異なる部位の障害をテーマにしましたが、どれも実際に私がランニングを始めてから体験した痛みの実体験を交えて対処法を解説させていただきました。私のマラソン人生のピークは、5週間でフルマラソン6レース(祝日含めて)を完走したときと、厚生労働省の職場まで毎日往復28㎞、月間400㎞走ってPBを連発した頃でした。
現在、日本医師ジョガーズ連盟(日医ジョガーズ)の副代表理事として、全国のマラソン大会への医療支援活動を行ないながら、記録を狙わないマラソンランナーとして大会に出続けております。
走ることは生きがいです。どんなに仕事が忙しくても、走れない人生など考えられません。
マラソンを始めた頃『月刊ランナーズ』が届くのがとにかく楽しみでした。1ページ目から最後のページまで、1文字も漏らさずに読んでました。これからも私たちランナーにワクワク感を与えてくれる特集記事を期待しております。アールビーズのスタッフの皆さま、長い間のお付き合いに感謝しております。
ランナーズに私の記事がはじめて掲載されたのは1991年、大阪国際女子マラソンを当時の日本最高記録で走った頃でした。
リクルートで小出義雄監督のもと無心で練習に打ち込み、五輪で2つのメダルを獲得。この時期の私は“自分の価値を証明したい”という思いだけで走っていました。
記録や勝利が全て。メダル獲得は人生の目標であり誇りでした。
転機となったのは、アトランタ後にカンボジアで初開催されたアンコールワット国際ハーフマラソンへの招待でした。
当時カンボジアは内戦による政情不安の最中。「暑い中でさらに体力を奪って何の意味があるのか」と疑問すら感じました。しかし翌年、第2回大会で印象的な光景を目にしました。
政治的緊張緩和のため対立派閥の代表者が会場に招かれ、大勢の国民が集まり、ほとんど関心がなさそうだった子どもたちは前年に私たちが配ったウエアやシューズを身につけ楽しそうに走っていたのです。
「マラソンには人を結びつける力がある」それまで自分のために走ってきた私が、走ることの社会的意義を実感した瞬間でした。
翻ってみると、ニューヨークシティマラソンを始めとする海外でのマラソン大会の発祥は「チャリティー」にあります。
走った後に問われるのは「何時間で何位だったか」ではなく「走ることを通じて社会にどんな貢献をしたか」―それがマラソン大会の原点であり本質です。
ランニングの基本は「マイペース」です。
ランナーの皆さんには、自分のペースで走り、生きる力に変える。走ることで社会とつながり、誰かを元気にする。応援され、自分も応援するーそんなエネルギーの循環を愉しんでほしいと思います。
ランナーズ誌が半世紀にわたって、ランナーのための役立つ情報を提供してきたことは素晴らしいことです。これからも多くの人がランナーズを通じて、走る喜びを知るきっかけになることを願っています。
創刊50周年、おめでとうございます。
現在「MC岡田」として活躍中の岡田拓海さん(当時株式会社アールビーズ社員)と仕事をしたこと
シューズアドバイザーとしてランニングに関わっています。
ランニングとは自己表現の最大の方法
父親が『月刊ランナーズ』を創刊の頃から購読していて、その記事にかなり影響を受けました。この先も内外問わずランニングカルチャーを発信していってほしいですね。
走り方について写真の撮影していただいたのですが、現役ぶりにひざ下をさらけ出すことになり、脚を引き締めるためにこっそり補強をしました。
チームを運営し、定期的に練習会を設定し、自身も大会ゲストをさせていただいたり、走ってみたい大会に申し込んで楽しんで走っています。
走ることを通じて人との繋がりが深くなる。また、自身の健康管理能力が高くなり、心身ともに元気に健康になる存在だと感じています。
50周年おめでとうございます。50年もの間、トップランナーとして市民ランナーの皆様を支え、導いてこられたことは本当に素晴らしいことだと思います。
ランナー仲間は、現役引退後に何もなくなってしまった私をもう1度ランニングの楽しい世界へと連れて行ってくれた大切な人たちです。
ランニングに関わる皆さま、これからもよろしくお願いします。
日本記録を出させるなら一億円出せばすぐ出ます、と言ったら本当に出たことでしょうか。
トランスアメリカ撮影もスタートからゴールまで64日間の長いレース、身体の変化に驚きました。
走れないと写真も撮れないんじゃないかと走ってみましたが、写真は変わりませんでした。
sportsphotographerとして50年競技を見てきました。勝つことの難しさ負けることの悔しさは、見ていても飽きがきません。一度も勝てない人も何勝もしている人も引退試合がないのは、長距離ランナーの奥の深さでしょうか。
楽しく走る人もいる、血を吐いても強くなりたい人もいる。たまには強い人の特集でも!