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ランナーズ賞

2017 RUNNERS AWARD 第30回ランナーズ賞

2017年 第30回ランナーズ賞受賞者

市民ランニングの普及、発展に貢献した人物、団体などを表彰する第30回ランナーズ賞の受賞者が決定しました。
1988年に第1回のランナーズ賞受賞者を称えて以来、今回までで98の個人、団体が受賞。今回は、田中英文さん、千尋さんご夫妻、山西哲郎さん、松下耕太郎さん、保坂好久さん、月例マラソンが「ランナーズ賞」に輝きました。



選考にあたって

街路樹の落ち葉を、きっと皆さんは今日も力強い着地で舞い上がらせていることでしょう。第30回ランナーズ賞を受賞された5組の皆さん、おめでとうございます。皆さんは、選考指標にある、ランニングの継続性やアカデミック性、社会貢献などの項目を複数クリアされています。ランニングを通して自分を磨き、そのエネルギーで周りの方々に幸せをもたらせていることが、授賞の理由となりました。 
田中英文さん、千尋さんご夫妻は、国内外のマラソン大会にお二人で仲良く参加され、これまで英文さんはフルマラソンを147回完走。千尋さんは104回完走。旅を楽しみながら走ることを通して、人々に幸せの見本を見せてくれています。
山西哲郎さんは、市民ランナーの父と言っても過言ではないでしょう。競技ではない、市民マラソンの素晴らしさを長年にわたって広めてくださった伝道師。私も山西さんに教わった「マラニック」(走ったり、歩いたりを楽しくピクニック気分で)のお陰で、運動嫌いの女子学生をたくさん走る世界に導きました。
医師の松下耕太郎さんは、隠岐の島ウルトラマラソンへの出場が縁で、医師不足に悩む離島に単身赴任。大会の時、島を挙げての温かい歓迎に感動しました。その後、記録証と共に小学生から手書きのメッセージが届き、嬉しくてお礼にけん玉を贈ると、翌年の大会で垂れ幕に松下さんの名前を書いて応援する小学生の姿が。相手を思う、優しい心と心の触れ合いは、人間関係が希薄になった私たちに大切なことを教えてくれます。
保坂好久さんは60歳の時に2時間36分30秒の年齢別世界記録を達成。今年も68歳でサブスリーを達成しました。今も、インターバルや下り坂でのスピード練習を欠かしません。挑戦を続ける人生の長距離ランナーです。
各地で行われている月例マラソンは、ランナーが気軽に出場出来るレースがなかったころから開催。特に川崎は約40年前から、500回の歴史を重ねています。運営を統括しているのは、佐藤静雄さん(77歳)。当日15分前までエントリー可能という有り難さ。千円で5㎞、10㎞、3㎞などの種目が走り放題です。自分のスピードを磨いて成長したいという、正にランナー目線の運営のパイオニアでしょう。
今年9月、政府は人生100年時代構想会議を設置。冒頭に「いくつになっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会。人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を構想していきます」とあります。受賞者の皆さんのランナー人生そのものですよね。これからも自分の元気、社会の元気のためにも先導していってください。

ランナーズ賞 選考委員会委員長 増田 明美

受賞者

「主人のおかげで、フルマラソンを100回完走することができました」

田中英文さん( 80 歳)田中千尋さん(71歳)/千葉県

田中英文さん(80歳)田中千尋さん(71歳)/千葉県
「もともとは主人が健康のために走り始めたのですが、マラソンを走るのは〝特別な人〞で、自分には関係のない世界だと思っていました。それが、徐々に興味を持つようになって、58歳の時に『還暦フルマラソン挑戦』と大義名分を立てて、走り始め、すぐにホノルルマラソンに挑戦しました」と話す千尋さん。初マラソンは、ハーフまでめいっぱい飛ばして走った結果、30㎞以降は脚が前に出ず、歩いたり走ったり。6時間12分20秒かけて、泣きながらゴールすることになった。
しかし、このレースを機に「走り始めてから5年まではタイムが縮まるから」というご主人の言葉を信じて、5年後には掛川・新茶マラソンでサブフォーを達成(2010年)。今年2月のおきなわマラソンではフルマラソン完走100回目に到達した。
英文さんが走り始めたのは40歳のとき。当時、職場(新薬開発の研究所)が運動を推奨する時代で、自分も健康のために何かやってみようと考え、片道12㎞ほどの通勤路を往復走って通い始めた。「当時は、周囲に走る人がいなくて変人扱いされた(笑)」そう。2017年11月時点で千尋さんが104回、英文さんが147回、2人合わせて251回のフルマラソンを完走。現在も年間5~6レースに参加する。レース中に若いランナーを追い抜く時は「若者は国の宝だよ」と、自身の背中につけている「80歳」の文字と完走数を見せ、「どうだ、80歳も頑張っているんだぞ!」と少しゆっくり走るそう。「“老化は足から”を合言葉に、これからも夫婦二人三脚でゆっくり長く走って他のランナーに元気を分けられる存在でいられたら、と思っています。」



たなか・ひでふみ
東京大学医科学研究所を経て製薬企業研究所で新薬開発に従事。40歳より走り始め、初マラソンは1980年の勝田マラソン(3時間39分31秒)。1987年には佐倉マラソンでサブスリーを達成した(2時間57分16秒)。走歴40年。

たなか・ちひろ
2人の子どもを育てながら介護施設に勤務。退職と同時に走り始める。2010年には浅井えり子さんのランニング教室にも通い、ご主人と練習を重ねて掛川・新茶マラソンでサブフォーを達成(3時間57分2秒)。年代別1位に入賞した。


「走る世界」の魅力を伝え続けてきたランニング文化の伝道師

山西哲郎さん(74歳)/群馬県

山西哲郎さん(74歳)/群馬県
「年をとると、どうしてもフォームが小さくなる。スピードを上げて走ることで、大きなフォームで走る走姿の美を追求したい。日本舞踊などは細かな所作で美を感じさせますが、ランニングにも通ずるところはある」と話す山西哲郎先生は、74歳になった今でも毎朝走る。「走っている時に考えることは無数にあります」との言葉どおり、50年に渡ってランニングの素晴らしさを多くの人々に伝えてきた指導の根幹にあるのは「自分で考えさせる」こと。教え子の中からは、その後ランニングの指導者・研究者の道に進んだ人も多い。
そんな山西先生の「ランニング観」に大きな影響を与えた人物がオーストラリアの名指導者・パーシー・セラティ氏だ。同氏の著書に感銘を受けた山西先生は、27歳の時、単身でオーストラリアの合宿所に押しかけた。砂丘を自由に走り回る世界のトップアスリート。哲学書や文学書、医学書まで並ぶセラティの書斎。わずか1週間の滞在だったが、そこから学んだことは、ランナーとして、人間として自律することの大切さだった。「ランニングは人生と同じ。葛藤があり、それを乗り越えることで自律する。自律しているからこそ、自分にとっての本当のランニングの在り方というものを見つけられる。指導者から言われたことを何でもやるだけでは葛藤がなく、自律もない」
さらにランニングは、個人だけにとどまらず、社会を変革する力を持つ、と話す。「東京オリンピックでも、メダルの数を議論するだけでなく、スポーツによって人生を豊かにするとは何か、より人間らしく生きるとは何かを考えて欲しい」と2020年へ向けてのメッセージを発信している。



やまにし・てつろう
兵庫県神戸市出身。東京教育大学(現筑波大学)在学中に箱根駅伝出場。その後コーチ、拓殖大学の監督、そして群馬大学、立正大学などで教鞭をとり、多くの学生を指導。『ランナーズ』や、編集主幹を務める『走る世界』では、市民ランナーに、走ることの奥深さを書き記してきた。


記録証に同封された一枚の紙に導かれ、へき地医療の最前線に身を投じた

松下耕太郎さん(57歳)/島根県

松下耕太郎さん(57歳)/島根県
2017年で12回目を数えた「隠岐の島ウルトラマラソン」に第2回大会から連続出場している松下さんが「へき地医療」に身を投じるきっかけとなったのは、記録証に同封されていた1枚の紙だった。『医師情報の提供についてのお願い』と書かれているのを見て、深刻な医師不足を認識。「レース出場を通して隠岐は特別な場所になっていたので、『タイミングが合えば力になりたい』と返信しました」
2010年、50歳を迎える節目の年に前任者が隠岐を去ることを知り、赴任を決意。「人生は情熱を燃やして取り組めるものがあるかどうか。最先端医療よりも制約のある環境で最善を尽くす医療に興味がありました。へき地医療に任期はなく、隠岐に骨を埋める覚悟でした」
町村合併により隠岐の島町が誕生した2004年と比べると、町の人口はおよそ4000人減り、65歳以上の高齢者の割合が39%に達したいま、医療活動はもちろん、自身が走ることを通じて運動習慣を啓蒙中。今では全隠岐駅伝競走大会において、布施地区でチームを結成するまでになった。
「隠岐に来てからは、院内よりもランニング中の"畑でのコミュニケーション"が多くなりました。『身体を動かしながら痛みと共存しよう』というランナーならではの前向きなメッセージを発信することができます」
今回の受賞は、広島で暮らす奥さんをはじめ、それぞれ自立して暮らす3人の息子さんと繋がる「家族LINE」で報告。
「コツコツ継続したら良いことがありますね、という家内の返信が私の心境を代弁するようで胸に響きました。今後もできる限り長く、隠岐の島で情熱を燃やしたいと思っています」



まつした・こうたろう
香川県東かがわ市出身。香川医科大学(現・香川大学医学部)を卒業後、外科医としての経験を積み、35歳から広島市内の病院勤務を経て、50歳で隠岐の島に赴任。走歴23年、ランナーズダイアリー愛用歴も23年。


59 ~ 61歳の年齢別世界記録を保持「脚が痛くたって必ず走る」

保坂好久さん(68歳)/静岡県

保坂好久さん(68歳)/静岡県
59歳「2時間34分23秒」、60歳「2時間36分30秒」、61歳「2時間38分12秒」の年齢別世界記録を保持し、今年3月の静岡マラソンでは「3年振り」のサブスリーとなる、2時間58分6秒をマーク。昨年の全日本マラソンランキングの最高齢サブスリーランナーだ。
地元の駅伝で優勝したことがきっかけでランニングを再開したのは36歳のとき。「40代の時はロードレースの賞品や大会派遣で、海外レースに出場することができたのが嬉しくて楽しくて、もっと速くなってやろう!という気持ちが強くなったんだ」
「レースでついていくことができなかったランナーに勝つためには(そのランナーより)はるかに速いスピードで走る練習をするしかない」と30年以上続けているのが「下り坂」を全力で駆ける1㎞のインターバル走。19時頃にスタートし5~7本走るのが日課となっている。
「毎日継続していると、脚や腹が締め付けられるように痛くなることがあるけど、それで休んだらいつまでたっても進歩しない。脚に鞭を打って走っていればいつか必ず限界を超え、痛みは吹っ飛ぶんだ」
仕事は自らが経営する会社で「シーズニングソルト」を販売。「仕事もランニングも、両方あって精神が充実する」と語る。
現在の目標は、68歳以降のほとんどの年齢で世界記録を持つ、今年3月に亡くなったカナダのエド・ウィットロックさん(享年86歳)を超えること。「先日、トロントに行き、彼の練習コースを見させてもらうと、平地しかない周回コースだった。それに比べて下田は坂だらけで海岸もあって、素晴らしい練習環境。絶対に負けてはならない、そう思ったよ」と話す保坂さん。73歳で2時間54分48秒というエドさんの年齢別世界記録の更新が目標だ。



ほさか・よしひさ
静岡県下田市出身。小松自動車に勤務した後、建設業、ファーストフード店経営、食品販売業を行う。マラソン自己最高は45歳の時に「びわ湖(1990年)」で出した2時間25分28秒。義理の息子もサブスリーランナーで、下り坂インターバルを一緒に行う練習仲間でもある。


40年以上、毎月1回「だれでも」参加できるレースを開催

月例マラソン

約40年前、現在よりもレースが少なかった時代に「いつでも どこでも だれもがスポーツを」という理念のもと、新日本スポーツ連盟により開催されたのが、月例マラソン。現在は全国8カ所で毎月開催され、事前エントリーなしの当日受付、基本1000円で何種目でも走り放題というのが特徴。3㎞、5㎞、10㎞と連続して走るランナーも多く、練習としても絶好の機会となっている。
このうち最も古い月例川崎マラソンは川崎市の古市場陸上競技場と河川敷を舞台に、1976年2月にスタート。
「来たらその場ですぐ走れる、というレースを作りたかったんです。ランナーが楽しんでいる姿を見るのが何よりの喜びです」と語るのは、当初から運営に関わる新日本スポーツ連盟川崎市連盟理事長の石川正士さん。「速さだけを競う大会にしたくなかった」と、連続出場に応じて表彰されるのも特徴のひとつ。
月例川崎マラソンに25年間、連続305回出場中という臼井勉さん(80歳)は、「すっかり参加することが当たり前になりました。この年齢まで健康で走り続けていられるのも、月例マラソンで刺激を受けているからです」とのこと。
多いときは1000人以上が参加する規模となった月例川崎マラソンは10月29日の開催で、通算500回目を迎えた。当日は台風の影響で嵐となったものの、223人が参加した。
実行委員長の佐藤静雄さんによると、大会が中止になったのは過去2回。「嵐の中でも200人以上もランナーが来てくれて、走っているのを見ると、中止にできないですよね。これからも走ってくれるランナーがいるうちは続け、1000回開催を目指します」と話した。



月例マラソン
毎月1回行われる当日エントリー可能なレース。多くの場合、1回分の参加料で全種目走り放題。新日本スポーツ連盟の地域連盟が主催するものでは、1976年2月に始まった月例川崎が最も古い。



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