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ランナーズ賞

2003 RUNNERS AWARD 第16回ランナーズ賞

2003年 第16回ランナーズ賞受賞者

受賞者

走り旅の先駆者としてウルトラマラソンの裾野を広げる

阪本真理子さんと日本100マイルクラブ

阪本真理子さんと日本100マイルクラブ

阪本真理子さんは1988年、41歳で初めてランニングの世界に足を踏み入れて以来、その魅力に取り憑かれ、数多くのフルマラソンやウルトラマラソンの完走を重ね、94年には女性として初めてのフルマラソン100回完走を達成した。その中でも、ゆっくりコツコツ長い距離を走ることに感動を覚え、「走りながら豊かな出会いを作り、人と人をつなげていく」ウルトラの魅力にどっぷりとはまっていった。
02年夏にロサンゼルスからニューヨークまで、北アメリカ大陸を横断するレース「ラン・アクロス・アメリカ」(約5000km)を完走。03年には、ポルトガルからロシアまで横断する「トランスヨーロッパ・フットレース」(約5100km)で、女性唯一の完走者となり、ここでも女性で世界初の「2大陸の横断レース完走」という快挙を成し遂げた。97年には、オーストラリア大陸(約4200km)を日本人として初めて走って横断しており、今までに3大陸走破に成功している。そして、新たな目標として「これから3大陸横断の続きをして、世界一周走破をしたいと思っているんです」という、まさにジャーニーラン(走り旅)の先駆者的存在なのだ。
そんな阪本さんが、ウルトラマラソン仲間である関根孝二さんと日本100マイルクラブを設立したのは94年のこと。
「100kmを走ることのできるランナーも徐々に増えてきたので、それ以上の距離を目標とする大会、まずは100マイル(160km)大会を作ろうと思いました」
100km以上の超長距離を中心に、大会の開催に力を注ぎ、今では年間20を超える大会を運営している。その大会の大きな特徴として、主に関西の文化・歴史の名所を巡るように設定されたコース、そして参加人数が数10名と少人数であることがあげられる。なぜ、あえて参加人数を少なく設定しているのか、それは参加者同士のふれあいをより深めるためだ。
日本100マイルクラブは「来る人はみんな仲間」が信条であり、入会金や会則はなく、特にきまった月例練習会があるわけではない。入会資格は2つのみ。ひとつは、同クラブが主催する、走行距離が320kmに達する日本最長距離の大会「関西周遊山岳マラニック」の完走者であること。もうひとつは、1回でもこの大会のボランティアスタッフを務めた経験があることだ。
「大会に出場して走るということは、1人の力ではできません。裏方がいてこそ初めて大会が成り立つのだということを理解して、みんなとうまくやっていける協調性やボランティア精神を持っていて欲しいという私たちの願いなのです」
こうした日本100マイルクラブを中心として、ウルトラランナーの輪が幾重にも広がり続けている。
「速く走ることばかりが楽しいのではなく『仲間と一緒にゆっくり走る楽しみ方もあるんだよ』ということを広く知ってもらいたい。たくさんの人をウルトラの世界に引っ張ってきて、この世界で楽しむ仲間が増えていってくれればと思っているんです」と語る阪本さん。
「人と人とのつながり」に重きを置くふたりに惹かれて集まり、広がり続けているウルトラランナーの輪は、これからも幾重にも広がっていくのだろう。

阪本 真理子(さかもと まりこ)
1947年奈良県生まれ。スキーのトレーニングとして、41歳から走り始め、さくら道260キロ・サロマ湖100キロなど国内外のフルマラソン・ウルトラマラソンを数々走破。94年のボストンマラソンでフルマラソン100回を達成。94年から日本100マイルクラブ代表。著書に「挑戦する脚」がある。

日本100マイルクラブ
94年、阪本真理子氏他3名で設立。その後97年からは関根孝二氏と共に企画運営を行っている。現在会員数は20~50名。魅力あふれるコースが楽しめる関西周遊マラニックなどのウルトラマラニックを年間20大会ほど主催。

「ランニングをもっと楽しく、快適に」 幅広い活動を続ける

ぎふ長良川走ろう会

ぎふ長良川走ろう会

1988年「会の創立10周年を記念して大会を開こう」と1度だけのつもりで開催した「岐阜鵜飼マラソン大会」は、いきなり1000名以上の参加者を集める盛況となった。以来、開催は16回を数え、1995年の2938人を筆頭に、毎年約1000名の参加者を集めている。そしてランナーの要望に応える形で、開催が途切れてしまっていた「ぎふ元旦マラソン」を91年に復活させた。以前は市が主催していたものだが、このときから会が主催しているこの大会は走り初めの大会としてすっかり地元に定着している。
その人気の秘密は「参加者思いの大会づくり」にある。
「自分たちが走っているからこそ『ここで給水が欲しいな』というように、参加者の気持になって大会を作ることができると思うんです」と語るのは2代目会長を務める高橋睦さん。
「会のメンバーには、自分が参加した大会をよく見てこいと言うんですよ(笑)。他の大会から学ぶことは多いですから」
約120名のメンバーは中学生から80歳を超えた人までと幅広い。まさに老若男女が揃い、走力もそれぞれだが、会のモットーが「いい汗かいて、自分のペースで走り、いい友だちをつくろう」であるように、普段の活動も決して無理はしない。自分に合った大会を探して自由に参加。そして、ただ自分の成績に一喜一憂するのではなく、その大会で満足したところ、改善が望まれるところを観察することも忘れない。
メンバー全員で作り上げる「鵜飼マラソン」「元旦マラソン」は全国各地の大会を走った経験の集大成ともいえるものだ。
県内で開催される各大会には、ランナーとしてだけではなく競技役員として参加することもあり、よりよい大会作りに一役買っている。
さらに会では、市民マラソンをより楽しめる環境を作るべく、新たな試みも行っている。結成15周年の93年には全国の大会事務局を集めたマラソンサミットを開催(現在まで3回開催)、「参加して嬉しい大会にするには」「参加者が安全に楽しめる大会作り」などについて話し合った。
そして、会の活動はランニングだけにとどまらない。長良川の清掃ボランティアや交通遺児支援のための寄付など、地元に根ざした活動を毎年続けている。
これからの目標は岐阜市内を走る、制限時間6時間のフルマラソンを実現させること。昨年はその足がかりとして長良川の堤防を走る鵜飼マラソンに、フルマラソンの部を新設。「次こそは市街地を」とコース案からその設定までメンバー自ら行っている。一般道を走るとなると道路の使用許可の交渉など大変なこともあるが、「市長を巻き込んで大きなイベントを成功させたい」と気持ちは前向きだ。
「今回の受賞を機に夏場のクロスカントリー大会も企画してみようと思います」と高橋会長。「ふれあいの森というクロカンにぴったりの場所があるんですよ」と早くも構想は膨らんでいる様子。これからどんな大会を作り上げていくのか楽しみだ。

ぎふ長良川走ろう会
岐阜市元旦マラソン大会の参加者に呼びかけて、1978年に設立された。現在会員は112名。会員の結束は固く、定例トレーニングのほか、会自らが主催する大会の運営や、各種のランニング大会に競技役員を派遣して運営をサポート。チャリティ活動などランニングを通じて地域社会への貢献も積極的に行っている。

知的障害者を対象としたクラブ「SCエンドレス」を創設、指導する

横田昭夫さん

横田昭夫さん

走歴30年。いわゆる市民ランニング創成期から走り続けてきたランナーである。37歳、ちょうど高島平団地に引っ越してきたときから横田昭夫さんの走歴はスタートした。
地元の走る仲間に声をかけ、75年に設立したのが「高島平走友会」。以来、練習会や各地のレースへの参加など、積極的な活動を続けている。現在は会員80人。
横田さんのパソコンには、自身のレース出場歴がデータとしてきちんと管理されている。5、10kmから始まり、30km、フルマラソンへと距離を延ばす。そして87年からはサロマ湖100kmウルトラマラソンへ出場。98年には10回目の完走を果たして、サロマンブルーメンバーの仲間入りを果たした。
「練習はたいへんですが、ウルトラマラソンはゆっくり楽しみながら走れるのが魅力。もともと健康志向の私にはピッタリでした」
40年間勤めた都の下水道局を退職した後も、毎朝のジョグが健康の秘訣という。無理はしない、楽しくがモットーで、これまで故障で医者にかかったことは一度もない。
そして、ひとりのランナーとの出会いが横田さんの転機となる。98年、走友会の練習会に知的障害を持つ高校1年生の女性ランナーが訪れたのである。
「出会った日に一緒に走ったことがきっかけで、毎週熱心に参加する彼女を指導することになったんです。よく言えば面倒見がいい、でも要するにおせっかいなんでしょう」
走りを見て、ロードよりトラック種目に適性があると感じた横田さんは、彼女に3000mに取り組むようにアドバイス。そして指導の成果は瞬く間に現れ、その年の全日本選手権で好タイムをマークすると、翌年にスペインで行われる世界選手権には日本代表として出場した。
2000年、各地の大会で横田さんの指導ぶりを見ていた選手の父母たちから「練習を見て欲しい」という要請をうけ、知的障害者を対象とした陸上クラブ「SCエンドレス」を設立。「SCはスポーツクラブの略ですが、『エンドレス』という言葉には、子どもたちが生涯楽しく走り続けて欲しいという親の願いが込められているんです」
毎週日曜日、都内各地から集まってくるメンバーは、15歳から25歳までの10人。練習には盆も正月もない。1人でも2 人でも走りたいと思う子が集まるなら、と横田さんは競技場に出かける。木曜と土曜にも練習日を設け、メンバーの記録管理を綿密に行う指導は、まったくのボランティアで行っている。そんな練習の中から、02年のプサンフェスリンピック大会(障害者のアジア大会)に男女2名が日本代表として出場した。男子 1500m、女子800mで見事金メダルを獲得するという成果を上げている。
そんな横田さんがメンバーを指導するとき、大切にしていることが3つあるという。
「まず、私自身が子どもや親を信頼すること。自信をなくすようなことは決して言わないこと。そして楽しく走るなかでも、少しでもレベルアップして大きな大会に出る歓びを知ってもらうことです」
1人1人の性格を見て、声のかけ方までも変えるという横田さんは、元教師でもなければ、競技や指導歴もない。しかし、自分自身のもつランナーとしての豊富な経験を元に、勉強、さらに試行錯誤を繰り返す。
「もちろんたいへんなこともありますが、やれるのはやっぱり楽しいから。そうじゃなきゃ続きません」横田さんの指導は今日も続く。

横田 昭夫(よこた あきお)
1935年、栃木県生まれ。健康目的で走り始め、75年には「高島平走友会」を設立。2000年には知的障害者を対象としたランニングクラブ「SCエンドレス」を創設。とかく引きこもりがちな子どもたちに走る楽しさと集団生活の基本を教え、一般社会へ溶け込めるよう指導を続ける。1995年東京都庁体育会より職員体育活動の指導者として表彰される。

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