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ランナーズ賞

1999 RUNNERS AWARD 第12回ランナーズ賞

1999年 第12回ランナーズ賞受賞者

受賞者

市民とアスリートとの距離を縮め、「観る」陸上の楽しさを伝える

ゴールデンゲームズinのべおか

ゴールデンゲームズinのべおか

1990年に旭化成陸上部の宗茂監督、宗猛副監督らの手作りで始まった「ゴールデンゲームズinのべおか」は、今年5月22日(土)に10回記念大会を開催した。3万5000人の観衆が詰めかける長距離種目のみの競技会は国内で唯一である。「ゴールデンゲームズ」には短距離、跳躍、投てき種目は一切なく、種目のほとんどが5000mレースである。参加標準タイムを クリアした高校生から実業団選手まで約700人が、持ちタイムによって組分けされ、実力を競い合う。
競技開始時刻は午後1時、最終レースが終わるのは午後9時30分。日没後は照明車4台がトラックを照らし、ナイターとなる。記録の遅い組からスタートしていくので、昼間は高校、大学生が中心、夜になると実業団の選手が続々登場するというわけだ。
この大会の一番の特徴は観戦方法にある。トラックの6コースより外側を観客のために開放し、トタンの看板を周囲に並べてフェンスを作る。観客はトラックすれすれの位置からレースを見ることができ、選手の息づかいまでもが聞こえてくる。トタンの看板を紙筒でガンガンとたたく応援は、他の大会では決して見られない光景だ。この観戦スタイルは観客にはもちろん、選手やコーチにも「記録が出やすい」と好評である。
観客の入場料は無料。これは「陸上競技を地元に広めたいという主旨で始めた大会だから」と宗監督は言う。
「今までの陸上競技会は観客を集めようという発想がなかった。もちろん競技会なので記録を出すことも大切ですが、私はそれ以上に観客を集めることの方が大事だと思うんです。ゴールデンゲームズだって、観衆が入らなければただの記録会で終わってしまう。とても10年は続かなかったかもしれない」
この大会には観客のことを考えた工夫がある。たとえば、5000mのレースが20分間隔で次々にスタートし、15~16分でゴールするやいなや、すぐにその組1位~3位の表彰を行う。観客はほっと一息つくかつかないうちに次の組がスタートする。テンポがよいので見ている方も飽きることがない。
また、宗監督はレースの間中、マイクをつけたまま選手にゲキを飛ばし続ける。
「よーし、ペースがいいよ、記録が出るよ!」
「もっと上体を軽く軽く!」
その声はスピーカーを通じて会場内に響きわたり、観客にはそれが絶好の解説となる。
「マイクで喋るのは、選手と観客との距離を埋めるため」だと言う。陸上競技に 詳しくなくても十分に楽しめるのである。
大観衆が応援し、それに応えて選手が存分に力を発揮するという、観客と選手との理想の関係がここにはある。

ゴールデンゲームズinのべおか
1990年、旭化成レーヨン陸上競技場の全天候化改修記念として 宗監督らが手作りの長距離記録会を実施。当時、2000人だった観客数は、95年には1万人に。 97年より、現在の西階陸上競技場に場所を移し、現在は3万5000人を集める大会に成長した。

ランナー、ジャーナリストとして世界を股にかける

大島幸夫さん

大島幸夫さん

ニューヨークに本部を置く、国際的な障害者・市民ボランティアの走友会、 アキレストラッククラブ・ジャパンの誕生の中核となり、運営委員も務める。
「クラブのメインイベントである、ニューヨーク・シティマラソン(99年11月7日)に、今年も日本から伴走を含め40人が参加しました。私も昨年に続き、伴走を務めました」
ビッグイベントを見てみたいという進行性の脳性麻痺のメンバーに、どうせならスタートして行けるところまで行ってみたら、と参加を勧めた。スタート直後のヴェラザノ橋を渡り切るだけでも大成功だ。
「それは一般の人にとってはリタイア。でも身体の不自由な人たちにとっては、人生の大チャレンジでしょう。ランナー・非ランナー、健常者・障害者の境を越えて、ニューヨークでは全ての人がその人の能力に応じて、マラソンを楽しむ権利を持っているといいます。たとえ5km地点までしかたどり着けなくても、ニューヨークのランナーだと認めてくれるんです」
「ユニバーサル(普遍的)」という考え方がある。どんな人にも分け隔てがないこと。 そのスポーツ版、ユニバーサル・スポーツのあるべき姿を、大島さんはニューヨークに見ている。
「その根底には、徹底した市民主義があります。みんなが自由に自分の考えと 責任で行動するという理念があるから、どんな人でも受け入れられるマラソン大会が開けるのだと思います。かたや日本では規制だ管理だと、制約事項が多すぎます。もちろん誰でも走れる大都市のフルマラソン大会の実現はまだまだ。ひとりランニングだけでなく、日本の社会システムの問題です」
本業は毎日新聞特別委員。論調は辛口ながら弱者、障害者への優しさは忘れない。同紙コラム「記者の目」でニューヨークやボストンでの伴走体験を掲載したほか、20 年にわたりしばしば 市民ランニングを巡る状況をジャーナリストの視点から斬る記事を執筆。走ることの一般への浸透、認知を高めてきた。
現在 62歳、自らを高齢化社会の一員として、破綻しかけている健康保険制度に頼らずに生きるためにも走り続けていると言うが、この9月には秋田内陸100km マラソンを11時間36分で完走。目標は2000年のサロマ湖100kmで10時間を切ることと、フルマラソンで3時間30分を切る力を維持することだというから、ランナーとしてまだまだこれから。記者としても現役で世界中を駆け回り、出張先でランニングを楽しむ。
 「健康にいいというよりも、ランニングは人生にいいんですね。走ることは最高におしゃれだと思うし、マラソンでフィニッシュする人は、みんな実に輝いていますね。私と同じ職種でも、ニューヨークやパリでは 走る人が多いけれど日本では少ない。マスコミもマラソンを報道したり主催していながら、市民ランナーを見ていないのが問題。やっぱりジャーナリストはもっと走るべきですね」

大島 幸夫(おおしま ゆきお)
1937年東京生まれ。63年毎日新聞社入社。戦後社会史、 スポーツからファッションまで広範なジャンルを手がける。現在同紙特別委員。早稲田大学時代には 登山のトレーニングとして走っていたが、日常的に走るようになったのは42歳から(マラソン自己ベスト2時間59分21秒)。 95年に設立したアキレストラッククラブ・ジャパンなどにおいて、障害者ランニングのボランティアとして活動を続けている。

ランニングを通じて地域社会の健康増進に寄与

竹上進さん

竹上進さん

瀬戸内海に浮かぶ小豆島の坂手港。そのほとりにある町有広場には、立ち並ぶオリーブの木に混じって、5本の梅の木が大切に育てられている。
「豊後高田ふれあいマラソン大会の方々から贈っていただきました。メンバーのみんなと年間15~18大会はマラソン大会に参加し、各地の方々と交流を深めています。梅の木はその一つの証です」
竹上さんが走り始めたのは76年。当時健康のためにバレーボールをしていた仲間十数人に声を掛け、約3kmのコースを毎朝走るようになった。
「スポーツの原点は走ることにあると感じたこと、また前年に29人もの犠牲者を出した豪雨災害のため、沈 滞ムードが広がる町内に走る姿を見せることで、少しでも活気を取り戻せればという気持ちもありました」
竹上さんたちの仲間は徐々に増え、毎朝のコースも少しずつ距離が延びていった。78年に地元で始まった「小豆島オリーブマラソン全国大会(5月)」では毎回ボランティアを務め、活動の輪が広がっていく。同大会では現在も会のメンバー約50名が最終および監察ランナーを務めている。
「第6回大会で脱水症状で倒れた方が出たことから、『監察ランナー』を始めました。コース上でランナーが無理して走っていないかチェックしながら、時には声をかけたり伴走して安全に走れるように見守っています。一緒に走る方がランナー同志で呼吸がわかると考えたからです」
竹上さんは競技委員長を務めながら、監察ランナーも含めて22年連続で出場。同大会は温かい運営が人気を呼び、704人で始まった大会も、今年第22回大会は5432人のランナーを集めるまでに成長した。
「走即健康&幸福」が竹上さんのモットーであり、同時に内海町健康マラソン連盟のスローガンにもなっている。本人が健康になることはもちろん、周囲の人たちも幸せになってほしいという願いも込められている。
竹上さんの想いは年2回実施している「宣言タイム駅伝」という形になって現れる。1人約1kmのコースを、事前に申告したタイムといかに差がないように走るかで競う駅伝形式のレースだ。99年6月の第31回大会には、6歳から82歳までの計35チーム(5人1チーム)が出場した。竹上さんは、大会時に自らが手書きした記録表を大切に保管している。表には「少林寺拳法」、「お醤油屋さん」、「佃煮屋さん」などのチーム名が並び、警察官のチームも参加する。ランナーだけでなく地域の人たちを巻き込んだ走るお祭りになっていく。
走友会の会長として、また地元の内海町議会議員さんとして常に先頭を走ってきた竹上さん。同会の事務局長を務める新茶善昭さんは「竹上会長は有言実行で仲間をぐいぐい引っ張っていくタイプ。 会のメンバーだけでなく内海町のみんなに走ることの効用、走れることの幸せをわかりやすく伝えてきたんです」と語る。約8kmの早朝ジョギングが日課。走る前には必ず、スクワット30回を含めた約30分の準備体操を行う。無理せず楽しく、そのランニングは23年前となんら変わりはない。

竹上 進(たけがみ すすむ)
1926年生まれ。地元の「内海(うちのみ)町健康マラソン連盟」、「小豆島走ろう会」の会長を務める。会員は90歳~20歳までの326人。小豆島で開催される大会のボランティアとして活動するほか、国内や海外の大会にも積極的に参加している。「内海町健康マラソン連盟」は97年に香川県教育文化功労団体表彰、99年には文部大臣賞を受賞した。

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