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ランナーズ賞

1998 RUNNERS AWARD 第11回ランナーズ賞

1998年 第11回ランナーズ賞受賞者


受賞者

市民ランナー指導の第一人者としてランニングの普及に寄与

平野 厚さん

平野 厚さん

1974年の開設以来、東京・国立競技場ジョギング教室で初心者を指導し続けているのが平野厚さんである。
ジョギング教室は当時、街でも走る人がまばらだったころに、一般市民、それも中高年を対象としたジョギング教室として始められたものだった。
教室は空前のジョギングブームとあいまって、次第に女性をはじめとする幅広い年代へと広がっていく。平野さんがジョギング教室で教えた生徒の数は25年でざっと数えてものべ数千人にのぼる。
ジョギング教室の開設から遅れること2年、本誌「ランナーズ」の創刊。平野さんはここでも、雑誌のたち上げ時から、「誌上ランニング教室」をはじめ、「楽しく走ろう」、「全国巡回ランニング教室」など次々と連載を担当し、全国の読者に向けて指導を続けた。
ジョギング教室を始めるきっかけとなったのは、1964年の東京オリンピック後、コーチ陣を中心として集められた日本陸連普及部委員の1人に選ばれたことである。また、大学では学連委員となり、猪飼道夫先生に「健康体力が重視される時が必ずくる」と教えられた。
平野さん自身が走り始めたのは中学生のころ。当時は体操部に所属し、駅伝大会の時だけスカウトされて走っていた。高校でも体操を続けるつもりだったのが、あいにく体操部がなく、陸上部へ入部することになった。そして長距離を走りながらも健康について考え始め、大学生のころから、「走ることは全てのスポーツの基本なのに、それを現場で指導する人がいない。競技一辺倒ではなく、生涯体育の基礎づくりをするような指導者になりたい」と心に決めていた。その考えは、一番後ろを走っていてもやめない、続けることは必ず力になる、という自身の体験によるところも大きい。トップを走る人は他のランナーの走りが視野にないが、後ろを走っていると他人のフォームや走りがじっくり観察できる。そうやって自らの目も養っていった。
ジョギング=運動は、食、寝、排便の日常生活と並んで当たり前のこと、生きていくために必要なことという考えをもとに、生活の中で運動を実践し、取り組むよう指導した。一生楽しく走ること、人と競走しないこと、さらに自分の今持っている体力、能力でできる走りをすること(無理をしない)、自分に合ったメニューを作れることがベテランジョガーである、という理念を持ち続けている。
競技者を指導できる人は多いが、初心者や市民ランナーの指導者はまだまだ不足している。この先駆者となった平野さんだが、ジョギングには引退がない、胸をはって一生ジョガーであってほしいと週に2回、ジョギング教室に足を運ぶ。平野さんの仕事はまだまだ終わりそうにない。

平野 厚(ひらの あつし) 1940年東京生まれ。1962年東京学芸大学卒業。高校・大学で陸上競技部・長距離専攻。1965年から日本陸連普及部委員・長距離担当。 1974年国立競技場ジョギング教室開設以来の講師。ランニング学会・日本体力医学会員、本誌編集委員。東京都立新宿山吹高校教諭。「マラソン・完走までの基本トレーニング」(日本文芸社)など著書も多数。東京都世田谷区在住。

競技者からスタート、高齢者ランニング、生涯スポーツの普及にも尽力

石井秀夫さん

石井秀夫さん

21歳から走り始め、各地の競技会で400mの選手として活躍、1956年の兵庫国体にも大阪の代表として出場。地元陸上競技協会の理事も務めた石井秀夫さんだが、一方で高齢者、生涯スポーツ普及が大きなテーマだった。
「70年代、日本にもジョギングブームが起こって、みんなが走り出した。と同時にひざを痛めたり肉離れになったりと、故障を訴える年輩のランナーが増えてきたんです。そこで75年に大阪むかし青年走ろう会を設立。その時にランニング指導をお手伝いをさせていただいたのです」
今では当たり前の健康ジョギングだが、当時はまだ理解されていない部分もあった。例会では、話ができる速さで走ることの大切さを説き、ケガをしないことをモットーにした。会員は200人ほどに増えた。
「いくら長生きしても、身体が動かなくてはダメ。孫の手を引っ張り、元気で楽しく動ける、健康な年寄りにならなくてはいけません。それが生涯スポーツの意味だと思うんです。私自身、この年で(73歳)孫の手を引いて走っていますよ」
会からは、女性ランナーの草分け、村本みのるさん(第2回ランナーズ賞受賞)を輩出するなどしたが、その後会員が増え、年齢の若い人たちも入ってきたことから、発展的に解消、代わって82年に大阪走ろう会が創設された。ここで石井さんは代表として、指導にあたっている。
石井さんが行っているユニークなものが関節体操。当時、老人にケガが多いのは関節が弱くなっているからだと思い立ち、独自に考案したこの体操で身体をほぐし、安全に走ってもらおうと導入したもので、現在でも実施している。
「現在、医者に行けば老人ばかり。一方で高齢者の増加で老人医療保険制度も厳しい状況。病院なんかにたまってないで、長居公園まで来て一緒に歩きながら話しませんか、と声をかけているんです。そういうことが生涯スポーツ、走ることの底辺を広げる作業だと思うんです」
石井さんのもう一つの活躍の場である大阪実業団体育協会では、理事に就任以来(現在理事長)、駅伝競技の充実に力を入れてきた。実業団体育協会はスポーツを通して職場間の親睦を深める組織で、現在は大阪だけにしか存在しない。当初、駅伝は競技的指向の強い十数のチームのみの参加だったが、その下に2部を作ったところ、100チームの参加があり、部門をさらに増加。現在では6部(混成)に加え女子のみの部の7部があり、参加も600チームに上る。競技者から初心者まで、さまざまなレベルのチームが参加できることが特徴となっている。
「まだ走ることに自信はありますが若い人と走るとスピードがなくなったことを実感します。でも今でも1日15~20分のランニングは欠かしません」

石井 秀夫(いしい ひでお) 1925年大阪生まれ。100m,400mの選手として21歳から走り始め、陸上の全国大会に大阪代表として出場。競技引退後は大阪陸上競技協会理事、大阪実業団体育協会などの役員を務める。一方で大阪むかし青年走ろう会、大阪走ろう会などを創設、市民ランナーの指導にもあたっている。大阪府大阪市在住。

行政の支援を受けず手作り大会を開催、地域のランニング振興に貢献する

八代走ろう会

八代走ろう会

20年余の歴史を誇る熊本県・八代走ろう会は、初代会長の尊田倖市さん(現・顧問)が球磨川の堤を走りながら、そこで出会うランニング仲間に「走る喜びや感動を一緒に共有しようではないか」と知人を誘い合わせて発足した(当時は八代くま川走ろう会と呼称、80年から現名称)。78年から開催し、行政の手助けなしで続けている「日奈久温泉マラソン」(3月開催)を主催する一方、八代市内に設定された43カ所ものランニングコースの責任者として、ランニングの普及、健康増進に努めている。
「せっかく大会を開くのなら、走り終わった後、温泉でさっぱりできる場所がいい」と尊田さんの考案で、隣町の日奈久温泉の役場にかけ合い、実現した「日奈久温泉マラソン」は10km、5kmのコースで参加者が汗を流す。
市内のお年寄りの協力で集まった温泉券に加え、折りたたみ傘やリュック、ウインドブレーカーなど毎年変わる参加賞は、ランナーたちに喜ばれているというが、その賞品探しにも事務局の苦心と工夫が忍ばれる。
79年以後、毎月発行している会報「やつしろ」には大会前後となると関連した記事が多く掲載され、参加したランナーからの礼状も紹介されている。
「駐車場、会場へ誘導してくれた皆様の笑顔」「見ず知らずの私に心開いての応援」これらの手紙が寄せられるのも、ボランティア運営に積極的に取り組む八代走ろう会の意識・姿勢の結果だろう。
例会は月2回開催。夏は6時から、冬は7時からで、参加者各自のコンディションに合わせて5kmか10kmを走る。タイムはとるが、あまり競争意識をもたず、むしろ健康のバロメーター代わりにしているという。年間行事としては、正月に「元旦三社詣で」ランニングを、夏のリクリエーション(8月)には近郊の温泉などへ出かけ親睦を図っている。
例会の練習コースも含め、八代市内には43カ所のジョギングコースが八代市によって85年に設置された。1 コースの距離は0.9km~8kmの範囲で設定され、「敷川内すこやかコース」(4.2km)、「洲口ひと汗コース」(3km)、「遥拝仲間つくりコース」(3.5km)などユニークな名称も多い。コースの責任者となっている会員の連絡先が記載された「ジョギングチェックカード」という記録表も作成している。この記録表には、走る目標時間や年齢別の適切な心拍数、ジョギング証明書を100日ごとに発行することなどが記載され、これから走りを始める人でも長く続けられるように工夫されている。
市内のランナーとの交流と親睦を深め続けて22年。「大往生のその日まで」を合言葉に、八代走ろう会の活動は続く。

八代走ろう会(やつしろはしろうかい) 1975年1月、会員15名で発足。現在会員数は男性68名、女性24名の計92名。例会は第1と第3日曜日の月2回。 78年、「日奈久温泉マラソン」を開催し、98年で21回目を数える。79年、会報1号の「やつしろ」を発行、以後毎月発刊。85年に43カ所のジョギングコースの責任運営に当たり、設置。地域に根ざした走る仲間づくりと親睦に務めている。熊本県八代市。


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