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RUNNERS WOMAN

女性ランニング小史

1990年代
全日本実業団女子駅伝や都道府県対抗女子駅伝といったエリート大会を通して若手が育ち、80年代から国内(実業団)の女子マラソン選手層は厚く、充実していった。その一方で、10時間走大会やウルトラマラソンの誕生、ホノルルマラソンやマウイマラソンを始めとする海外マラソンブームの兆し、市民ランナーを讃えるランナーズ賞の創設等もあり、市民ランニング界もまた活況を呈する。90年代に入ると、各方面での女性市民ランナーの活躍が目立つようになってきた。
1990年(平成2年)

<12月>

●市民ランナーによる市民ランナーのための市民ランニング賞として、月刊ランナーズが創設した「ランナーズ賞」誕生。
長年に渡り、市民ランナーとして模範的生活を送り、健康であることの喜びや、ランニングのすばらしさを多くの人々に伝え、また仲間を作り、さらに地域の社会体育を考えていく、そのような地道で有意義な活動をされている人、団体、大会について、その功績を讃える賞と定義されている。
一般公募制とし、毎年、雑誌「月刊ランナーズ」の誌上やRUNNETにて募集、受賞者には正賞の楯と、副賞として賞金が贈呈される。

1991年(平成3年)

<8月>

●原爆の投下された広島から長崎まで平和を訴えながら走る「広島-長崎ピースラン」が、市民ランナーにより実施された。内容は455kmの距離を2つの都市が被災した8月6日~9日までの4日間で走り抜こうというもの。参加者3名、うち遠藤栄子さんひとりが完走。

●東京で開催された「91世界陸上競技選手権大会」。女子マラソンは25日行われ、真夏の悪条件と世界の強豪という2つの難敵を相手に山下佐知子(京セラ)が大健闘、2時間29分57秒で銀メダルを獲得した。日本女子陸上界では63年ぶりの快挙。4位には有森裕子(リクルート)2時間31分08秒。

世界陸上で日本初のメダルをもたらし、一躍脚光を浴びた山下佐知子

世界陸上で日本初のメダルをもたらし、一躍脚光を浴びた山下佐知子

<11月>

●17日、「91東京国際女子マラソン」で谷川真理が初優勝。日本人が同大会で勝ったのは1983年の佐々木七恵以来、8年ぶり2度目。皇居を走る市民ランナーだったという谷川の経歴が、いっそうニューヒロインの誕生を際立たせた。

皇居のランナーが「東京」を制した。このあと、バルセロナ五輪をめざした彼女は、その目標の達成は叶わなかったものの、現在までの長きに渡り市民ランニング界に貢献

皇居のランナーが「東京」を制した。このあと、バルセロナ五輪をめざした彼女は、その目標の達成は叶わなかったものの、現在までの長きに渡り市民ランニング界に貢献

<12月>

●ホノルルマラソンで日本人参加者が1万人を突破。ランナー総勢14,605人のうち日本人10,236人となり、全体の7割を占めた。

●心臓病患者のリハビリと予防のためという目的で、心臓外科医らの手によって1973年に第1回大会が開催されたホノルルマラソンは、時間制限がなくゆったりした気分で走れること、大会を運営するボランティアのサービスがアロハ精神にのっとったとても温かいものであること、速い人だけでなく遅くとも平等に完走者が称えられることなどが人気を呼び、テレビ放映されるようになると日本人参加者が急増。このあとさらに95年には、参加者総数約3万人のうちの3分の2を日本人が占めるまでになった。
とりわけ、景色を楽しめるコース・大会演出サービスのよさ・アフターレースの観光の楽しみ…とあれば、このホノルルマラソン人気を支えたのが、ハネムーンや女性同士の旅行でこの地を選んだ「女性市民ランナーの支持」であったのは当然のことといえるだろう。

同じくハワイのマウイマラソン(写真)も女性に人気のレース。当初はマウイ島の田舎の大会といった趣であったが、90年代半ばにスポンサードで洗練された大会運営になると、すぐに評判を呼んだ。10年後の2005年には、フルマラソン参加者約1,700人のうち52%、ハーフ参加者約1,300人のうち65%と、半数以上を女性が占めている

ハワイのマウイマラソン

1992年(平成4年)

<1月>

●バルセロナオリンピック選手代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンが行われた。クリスチャンセンやドーレといった海外トップアスリートも集まる中、優勝はダイハツの小鴨由水。タイム2時間26分26秒は日本最高記録であり、初マラソン世界最高でもあった。このレースでフルマラソンデビューをした松野明美も2時間27分2秒の日本最高で2位。

●都心を5,000人のランナーが駆け抜ける「第1回東京シティマラソン」が26日開催された。ハーフマラソンとはいえ大規模な市民レースが東京で開催されたのは画期的であり意義深い。優勝は男子がスティーブ・モネゲッティ(オーストラリア)で1時間00分27秒、女子がエリザベス・マッコルガン(イギリス)で1時間07分11秒、ともに世界最高だった。

スタートは、東京都のシンボル都庁前から

スタートは、東京都のシンボル都庁前から
(c)フォート・キシモト

<8月>

●バルセロナオリンピックの女子マラソンは1日行われ、有森裕子がロシアのエゴロワと接戦の末、銀メダルを獲得。また、山下佐知子は4位、小鴨由水は29位だった。

優勝者エゴロワと互いの健闘をたたえ合う有森裕子

優勝者エゴロワと互いの健闘をたたえ合う有森裕子

1993年(平成5年)

<4月>

●吉田光代(ダイハツ)がパリマラソン女子の部で優勝。2時間29分16秒。

<8月>

●ドイツのシュッツトガルトで行われた第4回世界選手権の女子マラソンで、浅利純子(ダイハツ)が2時間30分3秒で優勝。3位には安部友恵(旭化成)2時間31分1秒で入った。

1994年(平成6年)

<4月>

●ロッテルダムマラソン女子の部で、朝比奈三代子(旭化成)が2時間25分52秒の日本最高記録を出す。

1995年(平成7年)

<8月>

●64日間かけて米国を西から東へ横断走する「トランス アメリカ フットレース」で、日本人女性としては初参加の遠藤栄子さんが551時間45分1秒で完走。女子の新記録を達成した。

1996年(平成8年)

<7月>

●アトランタオリンピック開催。注目の女子マラソンの有森裕子は、バルセロナの銀に続き、堂々の銅メダル。2大会連続メダル獲得の快挙となった。優勝はエチオピアのファツマ・ロバ。男子マラソンの優勝はジョサイア・チュグワネ(南アフリカ)。
このほか、女子5,000mの志水見千子4位、女子1万mの千葉真子5位、川上優子は7位と女子勢の健闘ぶりが光った。

有森裕子。「はじめて自分で自分をほめたいと思います」というフィニッシュ後の言葉が感動を呼んだ

有森裕子。「はじめて自分で自分をほめたいと思います」というフィニッシュ後の言葉が感動を呼んだ

<12月>

●アトランタオリンピックで銅メダルを獲得した有森裕子がプロ宣言。日本陸連はメダリストの特例としてこれを受け入れた。バロセロナ銀、アトランタ銅と2大会連続メダルを獲得した有森の功労という形での前進であり、後輩選手にとっての朗報となった。

1997年(平成9年)

<6月>

●ヨーロッパのグランプリを転戦中の弘山晴美が5,000mで15分7秒75の日本新をマーク。トラック種目での女子の海外挑戦が、新しい流れとして見受けられるようになった。

<7月>

●【海外】全米一のランニング雑誌「ランナーズワールド」誌の発行人ジョージ・ハーシュ氏が、アメリカは第2次ランニングブームの最中にあると宣言。根強い生涯スポーツの側面と共に、新たな現象としては、ランニングがチャリティ活動とつながり、ボランティアの一環として盛んになってきたことなどを挙げている。乳がんや肺がん撲滅、交通遺児救済などの寄付金を集める社会貢献の手段のひとつとして、ランニング大会は位置づけられていくことが多くなってきた。

<8月>

●アテネ世界陸上選手権開催。日本勢は女子の活躍が目立ち、マラソンの鈴木博美が2時間29分48秒で優勝、飛瀬貴子が4位。トラックでは、1万mの千葉真子が3位となり、人見絹枝以来のトラック競技でのメダルを獲得した。5,000mの弘山晴美は8位に入賞。

女子マラソン優勝の鈴木博美

女子マラソン優勝の鈴木博美

1998年(平成10年)

<3月>

●「名古屋国際女子マラソン」は中盤までスローペースで推移したが、30kmでスパートしたマラソン2回目の高橋尚子が35kmまでを16分6秒、40kmまでを16分21秒、ラスト2.195kmを7分10秒という驚異のペースで走り切り、2時間25分48秒の日本最高をマーク。高橋尚子時代の到来を予感させた。

<10月>

●世界一過酷な山岳レースともいわれるキナバル国際クライマソン(マレーシア・サバ洲)は、男女別のレースを走り、男子は標高4,101mの山頂往復コー ス、女子は3,314mの折り返しコース(共にスタート地点の標高1,866m)となる。このマウンテンランに、日本から初めて女子の部1人、男子の部に 富士登山競走の連続優勝者が2人出場。見事完走を果たした。

赤道直下にあるボルネオ島のキナバル国立公園が舞台。
 

赤道直下にあるボルネオ島のキナバル国立公園が舞台。東南アジア最高峰のキナバルは、マレーシアで最初に登録された世界遺産の秘境でもある
(c)毎日新聞社

<12月>

●アジア大会女子マラソンで高橋尚子が独走優勝、2時間21分47秒(当時世界歴代5位)をマークした。途中から気温が30℃を越え、湿度も90%と高かった最悪の気象条件ながら、9ヵ月前に高橋自身が出したばかりの当時日本最高記録を4分1秒も更新する快挙。

1998年、高橋尚子は女子マラソン日本最高記録を2度塗り替えた

1998年、高橋尚子は女子マラソン日本最高記録を2度塗り替えた
(c)毎日新聞社

1999年(平成11年)

<8月>

●スペイン・セビリアで世界陸上選手権開催。男子マラソンは佐藤信之が2時間14分3秒の3位。女子マラソンは優勝候補の高橋尚子が欠場し、2位に市橋有里(2時間27分2秒)が入った。

(c)北川外志廣

(c)北川外志廣


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