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RUNNERS WOMAN

女性ランニング小史

1980年代
国内第一人者・佐々木七恵、増田明美が登場。5000m、20km、フルマラソンで、お互いに日本最高記録を更新しあう好敵手として、日本女子陸上界を牽引した。女子マラソンが初種目となったロサンゼルスオリンピックには、2人が出場。
1981年(昭和56年)

<2月>

●【海外】IOC(国際オリンピック委員会)理事会で特別部会が開かれ、7対1の投票の末、1984年のロサンゼルスオリンピックより女子マラソンを正式 種目とすることが決定。1966年にボストンで女性ランナーがノーゼッケンの初参加をして以来、15年の月日が流れての出来事であった。

●宗茂と猛の兄弟が優勝と準優勝をさらった第30回別大マラソンで、女性2人が出場。優勝の村本みのるさんは、1分前にスタートした男性ランナーを500人ほど抜いて2時間50分30秒でフィニッシュした。

<4月>

●中央大学グラウンドで行われた月例記録会で、千葉成田高校の増田明美が1万メートルで33分20秒0の日本新記録を作った。従来の記録を一挙に2分26秒も縮める驚異的な快走だった。

●ボストンマラソンで、佐々木七恵(ヱスビー)が2時間40分56秒の日本女子最高をマーク。ちなみに同大会優勝は、同僚の瀬古利彦。

●4月に1万メートルで日本新記録を誕生させたばかりの増田明美が、5,000メートルでも日本新記録を樹立。15分53秒2のタイムは、世界歴代7位にあたる快記録だった。
また、さらに6日後には3,000メートルで9分14秒81とまたしても日本新記録を更新。

<8月>

●第1回皆生トライアスロン大会、鳥取県皆生温泉で開催。猛暑の中、水泳2.5km、自転車63.2km、ランニング36.5kmという日本初のトライアスロン大会に53名が挑んだ。完走者のうち2名が女性。

完走した成宮芳子さん(神奈川県)と辻由紀子さん(熊本県) (c)皆生大会15周年記念誌より

写真:完走した成宮芳子さん(神奈川県)と辻由紀子さん(熊本県)
(c)皆生大会15周年記念誌より

1982年(昭和57年)

<1月>

●長居陸上競技場を発着点とする大阪女子マラソンが内外の選手142人を集めて開催された。招待選手には、東京国際2 連覇のジョイス・スミスやカーラ・ビューケンス、イングリッド・クリスチャンセンら第1回大会にふさわしい陣容。優勝はイタリアから来た無名の新人リタ・ マルキシオで、自己記録をなんと16分も更新してのゴールだった。日本勢で期待された佐々木七恵は2時間42分09秒の11位。

大阪城は21km地点にそびえる

写真:大阪城は21km地点にそびえる

<2月>

●長距離各種目の日本記録を次々と塗り替えてきた高校3年の増田明美が、千葉県マラソン選手権・光町ロードレースでマラソンデビュー。期待どおり好走をし、2時間36分34秒の日本女子最高記録を樹立した。

フルマラソンデビューで日本最高記録を出す (c)日刊スポーツ新聞社

写真:フルマラソンデビューで日本最高記録を出す
(c)日刊スポーツ新聞社

<3月>

●増田明美、中日ロードレースで20キロ1時間6分55秒の世界最高記録樹立。

<6月>

●佐々木七恵、ニュージーランドマラソンで日本最高記録の2間35分0秒をマーク。

<12月>

●162人の参加から始まったホノルルマラソンが、10回目の記念大会を迎えた。参加者数は初めて1万人を突破し、この10年間になんと76倍の参加者を集めるビッグレースへと成長したことになる。
日本人参加者の数が4ケタになったのもこの年。市民ランナーの村本みのるさんは、2時間48分というマスターズの新記録を樹立した。

1983年(昭和58年)

<1月>

●第1回都道府県対抗女子駅伝が京都で発足。これは前年の1982年まであった「京都マラソン」を発展的解消する形で新設したもの。全国的な規模の女子駅伝は全日本実業団女子駅伝に次いで二つ目で、長距離ランナーの発掘、レベルの底上げに期待がかかる。
レースはフルマラソンの距離を分割した9区間で熱戦を展開、増田明美を擁する千葉が優勝に輝いた。

深尾真美(大阪)を先頭にした第1集団

写真:深尾真美(大阪)を先頭にした第1集団

<4月>

●【海外】第83回ボストンマラソン開催。地元マサチューセッツ州出身のベノイトが2時間22分43秒という驚異的なスピードで女子優勝。これで世界記録を3分以上短縮した。
1978年のニューヨークシティマラソンでグレテ・ワイツが2時間32分30秒の世界記録を樹立以来、5年で約10分もそのタイムを縮めた女子マラソンの世界。記録がどこまで伸びてゆくのか、女子と男子の長距離の特性など、運動生理学の研究に興味が持たれた。

<9月>

●アメリカ・オレゴン州ユージンで行われたナイキOTCマラソンに出場した増田明美は、2時間30分30秒の日本最高記録をマークして優勝を飾った。

<11月>

●‘83東京国際女子マラソンで佐々木七恵が日本人として初優勝。ロス五輪代表に決定。

ロス五輪代表決定の1番乗りを決めた佐々木七恵。

写真:ロス五輪代表決定の1番乗りを決めた佐々木七恵。指導者は、瀬古と同じくエスビーの中村清監督
(c)朝日新聞社

<12月>

●女優の丘みつこさんがホノルルマラソンを3時間58分16秒の好タイムで完走。丘さんは2月に青梅マラソン30kmも完走している上、このあと、ダブルアイアンマンというロングの大会まで完走してしまうほどのトライアスリートになった。市民ランナーにとって、「走る芸能人」として最初に身近に感じられた人といえるかもしれない。

1984年(昭和59年)

<8月>

●ロサンゼルスオリンピック開催。オリンピック初種目となった女子マラソンは、アメリカのジョーン・ベノイトが2時間24分52秒で優勝。グレテ・ワイツが2位、ロザ・モタが3位に入った。日本の佐々木七恵は19位、増田明美は16kmで棄権。

<10月>

●ランナーズが始めて運営するロードレース「10時間走・5時間走大会」が、東京多摩川河川敷のサイクリングコースで行われた。参加者は300人余り。過 去に例のない試みとしてどんな記録が生まれるのか、注目を集めた。10時間走の男子優勝者の記録は122.86km、女子は静岡の石上みよさんによる102.31km。

当 時50歳の石上さんは、47歳のときに第3回東京国際女子マラソンに参加して以来、その後62歳となる18回大会まで連続出場した女性市民ランナー。50代でもサブスリーであり続けたと同時に、このような時間走大会や、後に続々と増えるウルトラマラソンにも積極的に参加し、「速く走る・長く走る・楽しく走 る」を実践した。70歳を越えた現在も10km大会などに出場。多くの市民ランナーに慕われている。

1987年(昭和62年)

<7月>

●サロマ湖100kmマラソンが、100kmの部に218人、50kmの部に65人の参加者を集めて行われた。前年に続いての開催だが、前回はプレ大会の意味合いが強く、実質的にはこれが第1回大会といってよい。
女子の部では、本大会がウルトラデビューとなる鈴木隆子さんが優勝を飾った。

<12月>

●全日本実業団女子駅伝で、松野明美(ニコニコドー)が衝撃的な快走を見せる。4区10kmを受け持った松野は、タスキを受けると次々と先行のランナーを かわし、5区にリレーしたときには12人にも選手を抜き去っていた。抜かれたランナーの中には増田明美も含まれていたことから、関係者やギャラリーに驚き が走った。タイムは32分17秒の10kmロード日本最高だった。

1988年(昭和63年)

<9月>

●ソウルオリンピック開催。女子優勝は「ポルトガルの紅いバラ」と人気の高いロザ・モタ。彼女はこのオリンピックタイトル以外にも、ヨーロッパ選手権(1986年)と世界選手権(1987年)で優勝しており、前人未到の3冠を達成している。

圧倒的に前評判が高かったモタ。大本命の貫禄を見せた余裕の優勝だった

写真:圧倒的に前評判が高かったモタ。大本命の貫禄を見せた余裕の優勝だった

1989年(平成1年)

<3月>

●イタリアのミラノで開かれた第3回ワールドカップマラソンで、宮原美佐子が日本女子選手の海外マラソン初めての2位に。

<4月>

●小島和恵(川鉄)、パリマラソンに日本最高記録の2時間29分23秒で優勝。日本女子選手の海外マラソン初制覇。


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