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RUNNERS WOMAN

女性ランニング小史

1960年代
ウーマンリブ活動が世界中に広まった1960年代は「女性の時代」と言われ、特にアメリカでは女性解放運動が盛んだった。自身の個の確立、解放、そして選択の自由を求めるエネルギーが社会に充満し、学生運動や公民権運動もまた活発な、激動の時代であった。
1964年(昭和39年)

<10月>

●アジア初のオリンピック、東京オリンピック開催。

1966年(昭和41年)

<4月>

●【海外】女性のマラソン参加が認められていなかったこの頃、カリフォルニア出身の23歳、ロベルタ・ルイーズ・ギブスという女性が、第70回ボストンマラソンにノーゼッケンで出場。約500人が出走した中、堂々3時間21分40秒で126番目にフィニッシュした。

1967年(昭和42年)

<4月>

●【海外】ニューヨーク州シラキュース大学の女子学生、キャサリン・シュウィツアー(20歳)がK・シュウィツアーの名でゼッケン261を取得し「第71回ボストンマラソン」に出場。レース途中、女性が走っているということに気付いた大会関係者が彼女を止めようとゼッケンを外しにかかり、シュウィツアーの伴走をしていたボーイフレンドともみ合いになる。このボディガード役の大柄な若者と老いた役員の小競り合い、それにうろたえるシュウィツアーの様子がカメラに収められたため、世間では前年のギブスの一件と併せて再び、「女性に対するマラソンの門戸開放」が議論された。

この写真がきっかけのひとつとなり「女性もフルマラソンへ」と論じられるようになった。

写真:この写真がきっかけのひとつとなり「女性もフルマラソンへ」と論じられるようになった。前年の第70回ボストンマラソンでのノーゼッケン女性ランナーの完走もあり、フルマラソンを走り切る女性の能力と意欲の高さについて、世間の人々は注目し始めた。

1970年代
名門ボストンマラソンにおける1966年と1967年の2つの出来事を経て、女性のマラソン参加が当然のこととようやく認められつつあった1970年代、その頂点に輝いたのは日本人女性だった。
そしてそれに呼応するかのように、日本国内でも、女性市民ランニング黎明期ともいえる時期を迎える。女子選手を受け入れ始めた各地の大会でパイオニアの彼女たちは生き生きと走り、そのパワーは、国際陸上競技連盟公認による世界初の女性だけのマラソン大会…すなわち第1回東京国際女子マラソン誕生の萌芽ともなった。
1971年(昭和46年)

<2月>

●第5回青梅マラソンで、10kmに女子ランナー2名が特別参加

●【海外】第2回ニューヨークシティマラソンに女性5名が参加。そのうちの2名、ベス・ボンナー(19歳)とニーナ・クーシック(31歳)が、それぞれ2時間55分、56分台を出し、女性として世界で最初に3時間を破った。

1972年(昭和47年)

<10月>

●【海外】ニューヨークシティマラソンで、女性ランナーたちがスタート前に抗議の座り込みを決行。マラソン大会では女子は男子の10分前にスタートしなければならない、という陸上競技連盟の決定に対するものだった。

1973年(昭和48年)

<3月>

●東京オリンピック優勝の裸足の走者、アベベ・ビキラ選手(エチオピア)に魅せられて健康マラソンを始めたマラソンおばあちゃん、波多野 斐(あや)さんが国際高齢者走ロンドン大会に出場。当時66歳。翌1974年にはフランス大会、1975年には日本大会と3年連続参加を果たし、フランス大会ではフルマラソンの自己最高記録5時間4分5秒をマークした。
女子マラソンの草分け的存在として、1990年に第3回ランナーズ賞受賞。

写真:1972年から、仕事の合間を見つけては走り続ける日本一周マラソンにも挑戦した。人気者の「はたののおばあちゃん」に走友たちが伴走することも(写真中央)

写真:1972年から、仕事の合間を見つけては走り続ける日本一周マラソンにも挑戦した。人気者の「はたののおばあちゃん」に走友たちが伴走することも(写真中央)

1974年(昭和49年)

<2月>

●青梅マラソンの30kmの部に、女子ランナーが初出場。その中には、前年10kmの部を走った下条由紀子の姿もあった。完走後、新聞記者の取材に「いずれはフルマラソン大会に挑みたい」と語った下条は、このあとランニングの専門誌『ランナーズ』の発刊へと動く。市民ランナーたちは2年後の青梅マラソン会場で創刊号を手に取ることとなった。

<4月>

●【海外】第78回ボストンマラソン開催。参加女性42名のうち、日本生まれの日本人女性、美智子ゴーマン(38歳)が2時間47分11秒のコース新で優勝した。
体重わずか40kgの小柄な普通の主婦にアメリカ人は目を見張り、夫の影響で走り始めた彼女の走歴がまだ5年だと聞いてさらに驚いた。その後の活躍もめざましいもので、当時オリンピックのマラソンに女子の部があったなら、間違いなくメダリストになっていただろう。

渡米10年後の快挙。ゴール後のインタビューで「アイム・フロム・トーキョー(私は東京から来た)」と答えた

写真:渡米10年後の快挙。ゴール後のインタビューで「アイム・フロム・トーキョー(私は東京から来た)」と答えた

1976年(昭和51年)

<2月>

●第10回青梅マラソンに、アメリカから来日した美智子ゴーマンが特別参加。ボストンマラソンの優勝者らしく1時間57分37秒の好タイムで走り、女子の部優勝を果たした。

青梅を走る山田敬蔵(左)と美智子ゴーマン(中央)

写真:青梅を走る山田敬蔵(左)と美智子ゴーマン(中央)

●走る仲間のスポーツマガジン『ランナーズ』創刊号発売。ランニング人口が急増していく状況を背景に、走る世界の情報発信基地として、またハウツー誌としての期待と役割を担っての出発だった。創刊号は青梅マラソンの大会会場で販売され、注目を集めた。

わずか32ページだったランナーズ創刊号

写真:わずか32ページだったランナーズ創刊号

<4月>

●第80回ボストンマラソンが20カ国から2,200人の参加者を集めて行われた。日本人女性では、プロの創作和太鼓集団・鬼太鼓座(おんでこざ)のメンバー、山本春枝、小幡キヨ子らが参加。

<10月>

●【海外】ニューヨークシティマラソンが、NYの5つの地区すべてを走る大会にコース変更。女子は、美智子ゴーマンが2時間39分11秒で優勝。

1977年(昭和52年)

<4月>

●【海外】美智子ゴーマン、ボストンマラソンで2度目の優勝。

<10月>

●【海外】美智子ゴーマン、ニューヨークシティマラソンで2連覇。        

このころ連戦連勝の美智子ゴーマン

写真:このころ連戦連勝の美智子ゴーマン

1978年(昭和53年)

<3月>

●第1回国際女子マラソンがアトランタで開催された。アメリカの化粧品メーカー、エイボンがスポンサーとなり初めて誕生した女性だけのフルマラソンで、世 界歴代20位のうち12人を含む187人が参加。完走者136人のうち、10人が3時間を切り、70人が4時間を切った。日本からはただひとり藤井弓子さんが出場。なお、大会後「女子マラソンを五輪に」が決議された。

ランナーズ創刊2号の表紙にもなった藤井弓子さん

写真:ランナーズ創刊2号の表紙にもなった藤井弓子さん

<4月>

●東京の多摩湖畔で、日本初の女子フルマラソン大会、第1回女子タートルフルマラソン全国大会が開かれた。参加者は49人。
主 催者は、中高齢者の健康保持増進を目的として1973年に設立された社団法人・日本タートル協会。長生きの象徴である亀(タートル)を団体名に付けている とともに、大会も「スピードを競わない(亀のようにゆっくりでよい)」が大きなコンセプトだった。現在も開催されているタートルマラソンや、その定期的な 練習会は、万人が楽しめることに主眼を置き、女性や障害者の参加受入が早かった。

●ボストンマラソンで鬼太鼓座の小幡キヨ子、2時間52分34秒の快走で6位入賞。タイムは日本女子最高記録。

1979年(昭和54年)

<2月>

●第28回別府大分毎日マラソンに、小幡キヨ子が女性では大会史上初めての出場。当初、九州陸協は女性の参加に難色を示していたが、小幡の熱意に押されて承諾。レース結果は2時間48分52秒、完走者252人中の173位という立派なものだった。

赤いハチマキをきりりとしめて快走する小幡キヨ子(中央)。ゴール後、「見知らぬ男性ランナーたちがペースメーカーや風よけ役をしてくれた」とニッコリ。市民ランナーたちは女性のマラソン参加を喜んでくれていたのだ

写真:赤いハチマキをきりりとしめて快走する小幡キヨ子(中央)。ゴール後、「見知らぬ男性ランナーたちがペースメーカーや風よけ役をしてくれた」とニッコリ。市民ランナーたちは女性のマラソン参加を喜んでくれていたのだ

<11月>

●世界で初めて国際陸上競技連盟が公認した女性だけのマラソンレース、第1回東京国際女子マラソンが誕生。海外からは 美智子ゴーマンを含むトップランナー18人、国内からは、小幡キヨ子、村本みのる、松田千枝、江端和子、下条由紀子ら32人の選手が参加した。選手は全員 招待で、国内選手は夏場から合宿を繰り返し、この日に備えた形。優勝はイギリスのジョイス・スミス。2時間39分48秒のゴールだった。日本人トップは村本みのるの7位、2時間48分52秒。当時、日本陸連は女子のマラソン記録を公認していなかったが、このタイムは同年2月に小幡キヨ子が別大で出したものと並び、事実上の日本最高記録であった。

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写真:東京オリンピックで使われた国立競技場をスタート。ロードレースを専門とする陸上競技選手は皆無の日本、各地の陸協や走友会から推薦された“長距離を走れそうな人たち”の中から、出場者が決められた


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